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河内地方の南部、南海線と近鉄線の交わる要の位置に河内長野市がある。大阪への時間距離は短く多くの通勤者がベッド・タウンを形成している。 |
長野町の町並 | |
古い市街地は南海・近鉄長野駅付近から南海三日市駅付近にかけて連なる。これは旧高野街道沿いに展開しているもので、一部では古い町並を残している。 殊に物資集散地として栄えた長野町と宿場町として発展した三日市町は歴史が古く、堂々とした商家の家並があった。長野町では創業300年近くとなる老舗の造り酒屋が町並の核をなし、袖壁を従えた町家風の主屋を持つ。通りを挟んで旧社屋と土蔵もそれぞれ伝統的な外観のまま残っている。三日市町では街道筋の木綿問屋や酒屋を営んだ八木家などが往時の姿を留めている。三日市町は曲線と坂の途中に町並が連なり、その立体的な展開は歩く楽しさを感じさせてくれる。 高野街道は平安時代の皇族も歩いたという大変歴史の古い道で、中世以降は徐々に信仰の道として一般庶民の通行も増加していった。宿場町や商業町として町場が栄えたのも街道の往来が盛んになった江戸期以降であった。三日市町では宿屋が軒を連ね、遊女も多く高野山や大峯山の参詣客の「精進落し」の役割もあったのだろう。 主要な建物には案内板が設置され、地元は保存活動に取組まれているようだった。 |
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長野町の町並 | |
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上田町の町並 | 三日市町の町並 |
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三日市町の町並 |
訪問日:2010.03.28 | TOP | 町並INDEX |
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