川越の郷愁風景

埼玉県川越市<商業都市> 地図
 
町並度 8 非俗化度 1 −迫力ある店蔵が連続する関東の代表的町並−



 江戸を背景にして商業の発展を見、当時の町並の姿を程度よく伝えている川越は東京から近いこともあり多くの探訪客が訪れ、観光地化されている。
 実際歩いてみてもそれだけの価値のある家並であって、少なくとも関東地方の中では最も見応えのある町並であることは疑いの余地がない。

川越のシンボル時の鐘付近の町並




伝統的な店蔵が並ぶ一番街は迫力の町並です。特に二階部から屋根に向け各商家はその豪勢さを競ったようです。
 
 中世よりここには城が構えられ、江戸を北から守る軍事的要であった。江戸時代に入ると川越藩が置かれ、江戸の繁栄に伴い計画的な町割が行われた。江戸とを直結する川越街道、そして市街地の東には新河岸川が流れ、物流も容易だったこともあり、以後は商業が激しく蓄積を重ねた。
 当時の町の構成は新河岸川寄りに川越城と武家町、札の辻付近より南に伸びる一番街とそれ以西は商人街であった。武家町の佇まいは現在はほとんど更新されつくしてしまったが、商人街は当時の姿をよく今に伝えている。
 一般に関東地方では、古い町並とはいっても町家が多数軒を接して連続する風景は稀なのだが、ここ川越ではそれが広範囲に亘って残っている。しかも家々の規模は大きく、中でも印象的なのは分厚い屋根との両端に張出した鬼瓦である。頭でっかちのような印象さえ抱くほど、通りを歩いていても極めて目立つ。各商家が財力の印として競い合ったことが推測される。そしてそれらは店蔵と呼ばれ、多くは蔵造り、または塗屋造りとして分厚く漆喰で外壁を塗り回してある。これも川越を真骨頂として東日本で標準的な造りだ。しかも黒漆喰で統一され、その重厚さを一層際立たせている。
 首都圏にあってこれほど店蔵が集中して残っているのは、江戸末期に江戸で普及した土蔵造りを模倣したこと、明治26(1893)年の大火によって防火対策として蔵造り・塗屋造りが教訓として採り入れられたこと、当時より同じ幅の広い街路で現在の道路事情に耐え得るものだったことなど複数あるが、それぞれが極めて頑丈で建替えを行う必要がなかったこともあるだろう。
 観音開きの蔵の扉、袖うだつ、鬼瓦の意匠など各部に贅を尽くされた家並を見ていると、当時の繁栄如何ばかりかと思わせる。少し入った路地には川越のシンボルといわれる時の鐘がその名の通り400年の昔から現在でも時を知らせ続けている。先に書いた明治の大火により、この商家群はほとんどがそれ以後の建築であるが、古い町並の周辺部を中心に洋風の古い建物も幾つか残っているのは、伝統的な建築の中に新しい風を導入しようとした試みが感じられ興味深い。
 観光地化の度合いは大きいが、全国どこにでもあるような土産物屋が派手な看板を掲げているようなことはないし、近代的な建築物を極力表通りに接しないようにする努力が感じられ、その点は評価に値する。名物も鰻や芋菓子、織物など伝統に支えられ渋いものであるのも好ましい。
 但し、一番街は市街地を南北に走る主要道路であるため車の往来が非常に多いのが難点である。せっかく迫力ある古い町並が残っているのに落着いて散策することは難しい。何とか代替道を整備するなどして休日だけでも歩行者専用に出来ぬものだろうか。
 
 
一番街の町並




一番街から外れた一角にも店蔵が点在しており、かつての大都市を思わせます。


訪問日:2004.10.11 TOP 町並INDEX