第10号 (13.06.23発行)

第11回いらかぐみ卯之町オフ会

2013年6月8・9日 開催場所:愛媛県西予市宇和町

       

 毎年5月後半から6月初旬に実施してきたいらかぐみオフ会も今回で11回目、いらかぐみの発足からも10周年となる。メンバーもしっかり固定され、各々の興味の方向は異なりながらも町並という根幹は揺るぎない。また緩い結合であることもこの会が長続きしている秘訣だろう。
 今回は四国で開催しようということで思惑が早期から一致し、開催地の大原則である「古い町並があり、その中の伝統的で素朴な宿」ということで愛媛県西予市(旧宇和町)卯之町をメインに実施することとなった。

 

 今回の宿として選ばれたのは文化元年(1804)建築の旧館を持つ「松屋旅館」である。卯之町は古くから南予地方の文化の中心であり、宇和島方面とを結ぶ街道上の宿駅に指定されていたこともあって多くの人の往来、物資の流通があった。
 旧館は200年余りも旅人を迎え入れてきた。歳月を経てまた我々がここで一夜を過ごすとは、また感慨深いものがある。
 参加するメンバーは少なくとも7年間はオフ会での交流や日常の掲示板等でのやり取りがあり、それぞれの指向もお互い理解している。以前は開催地の決定までずいぶん紆余曲折を経ることも多かったが、ここ最近は規定路線的にすんなり決まることが多い。以前のような「熱気」は少し影を潜めた感もあるが、決して冷めているわけではない。メンバー内の「こなれた感じ」が浸透したからであろう。



探訪する参加者(伊予市郡中にて)
 孫右衛門と七ちょめさん、Yasukoさんは新尾道駅で集合し、孫右衛門の車で島伝いに四国入りし、町並を拾い歩きながら向った。一方野村万訪さん、太泉八雲さんの東京組は空路松山空港入りし、レンタカーで内陸部を辿る計画。一方スケッチが主目的のKさんは前日より愛媛県入りし、道後温泉からはじめ内子、そして卯之町へと描き連ねての合流。Kさんにとって南予地方はかねてからの念願の地、ようやく実現を迎えた。
 孫右衛門組の事前行程は、伊予市郡中→伊予市双海町→伊予市中山町→内子町→五十崎町→大洲市という流れであった。私に限らず今回は多くのメンバーが訪問済の町が多い。しかしだから探訪がつまらないのかというとそうではない。特にこの地域には訪問価値の高い町並の密度が濃く、また町並探訪の目が肥えた複数の人間で歩くことで、また新たな発見・魅力再見の可能性もある。

 双海・中山は古い町並としては小規模ながらも見応え度の高い一角があり満足。その後この地区を代表する内子を歩き、町中の趣ある食事どころで昼食ということになった。保存地区を一通り歩き、その外れに鯛めしという文字が見え即決。鯛の身の入った炊き込み飯というイメージだが、実際は鯛の刺身を米飯の上に載せ、卵黄をからめた濃厚な出汁をかけて頂くものである。普段の個人的な探訪では軽く済ましている食事も、やはりオフ会時にはこだわりたい。昼食後は内子座の内部に初めて入り、これも満足であった。



双海に残る伝統的な建築
 Yasukoさんの希望もあり内子から程近い五十崎の町に寄り、大洲へ。ここも町並としては有名どころで三人とも訪ねているが、肱川に面した小高いところにある「臥龍山荘」は全員未訪問で、この際入ってみようということになった。
 ここが良かった。大洲藩主の遊賞地として建てられた山荘は山と肱川を借景に取り入れ、深い緑の中の庭園が見事であった。特に肱川にせり出すような位置にある不老庵からの絶景は一番の見所だろう。単独での探訪ではなかなかこうした有料施設に入ることはなく、オフ会ならではである。入園料以上の価値があるという感想も自然に生まれた。
 



内子の保存地区内の町並



大洲の素朴な町並



臥龍山荘にて
 さて、午後5時前後にメンバーが無事宿に集合した。目的地への交通手段、コアタイム以外の各メンバーの予定・目的により別行動を経て宿で一同会すというパターンもいつも通りだ。松屋旅館は古い町並に面する方が創業当時からの表玄関であり、自ら町並の景観に貢献している。玄関口には宿泊した著名人の名が連なり、厳かである。一方建物の中は改装され、現代の旅館感覚と何ら遜色ないつくりである。創業当時の格式ある室内を期待していた分驚くと同時に少々ガッカリだったが、随所に面影を残すように配慮されていることに感心した。元は広い土間と帳場などがある典型的な商家の構造で、そこを客室としている。そのため土間側の客室の外側にはくぐり戸付の大戸が残り、また帳場側の客室からは格子を通して街路に接している。また中二階部分は寝室となっており、凝った造りだ。さらに二階に向う階段には刀置きが残されている。中二階はかつては隠し部屋で階段はなく(表通りからは平屋に見える)、武士をかくまったりしていたのだという。




卯之町の古い町並景観にも寄与する松屋旅館 玄関口には著名な宿泊者の名簿が



二階に続く部分には刀置きが・・(太泉八雲さん撮影)



寝室はかつて隠し部屋だった中二階部分
(太泉八雲さん撮影)




大満足の夕食 右は当旅館名物の漬物の数々


 夕食は地物を中心に品数・質ともに申し分のないものであった。中でも特筆されるのが江戸期より代々使われている糠床で作られた漬物の数々、そしてこれまた南予地方の郷土料理「ひゅうが飯」だ。これはアジなどの刺身を出汁に漬け、それを御飯にかけて食するものだ。昼にいただいた鯛めしと似ているようで、また違った旨みがある。
 また宿のスタッフの方による丁寧な料理の説明もあり、旅館というより民宿に近いようなあついもてなしを受け、一同大満足!
 その後はいつもどおり、地酒を囲んでの懇親会。各々が最近訪ねた町の話題、今後の予定などを語り合う。明日高知県の離島まで足を伸ばされる七ちょめさんの話題も。いやはや元気な方だ。




 翌日。万訪さんと太泉八雲さんは早朝から宇和海沿いの集落訪問へ。いつのまにか予報に反して雨が降り出している。他のメンバーも傘を持って卯之町の町並を歩く。早朝で他の探訪客の姿はなく、聞こえるのはかすかな雨音だけ。旧開明学校など伝統的な文教施設が残ることからも、この町が文化・経済の中心であったことが伝わってくる。
 朝食後、日本一長い廊下で知られる宇和米博物館(旧宇和小学校)を訪ね、卯之町でスケッチを続けるKさん、また宇和島方面に向う七ちょめさんと別れる。残りのメンバー4人は2台の車に分乗しての町並巡りをスタート。孫右衛門とYasukoさんは東京組の二人が立案した綿密なスケジュールに従った。




卯之町の早朝散歩 左下は旧開明学校の校舎
 肱川水系を巡る探訪ルートなのだが、驚いたのが卯之町(宇和町)がその最上流部にあたっている点だった。卯之町は宇和海の海岸に近いところにあるが標高200m余り、そこから東→北→北西と流れて長浜で伊予灘に注ぐ。四万十川もそうだが、四国西部の河川は複雑な流れ方をするものが多い。
 この探訪は印象的なものだった。訪ねる町々は山間にひっそりと佇む小さな集落ばかりであったが、いずれもかつて栄えたであろう面影を十分に残していて、古い町並として息づいていた。肱川とその支流に沿い、近隣の山村からの物資の集結地になっていたのだろう。予期せず発見した町並も複数あった。東京組二人の町並を発見する感覚の鋭さに脱帽である。
 久万高原町を訪ねたところで太泉八雲さんの帰路の航空便の都合で解散となったが、私個人的にも収穫の大変多かった二日間であった。
 七ちょめさんは高知県宿毛市の沖にある沖ノ島を泊りがけで訪ね、万訪さんは松山に一泊し周囲の島嶼部を訪ね、翌日に全員の日程を終えた。



(孫右衛門 記)






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