第8号 (06.12.10発行)

広島ミニオフ会報告

       

 「いらかぐみ」のnomnomさんが、自身がリストアップされた集落・町並のとりあえず半分を訪問するという取組で、11月に広島県を3日にわたって訪問するという計画を提示された。実は6月に予定していたものを、私の都合で延期してもらっていたのだ。あいにく最終日しかご案内できないがぜひということで話を進めていたところ、メンバーの西山遊野さん、Yasukoさんも同行されると名乗り出た。これは立派なミニオフ会、オフ会といってもいいような規模となった。さらにnomnomさんは、私が同行できない2日目に、地元のルナルナさんと約束を取付け、ルナルナさんと私とでnomnomさん一行に地元の町を案内することとなった。
 ここではその模様を、私の同行した3日目を中心に報告し、「いらかぐみ」の活動記録としたい。


nomnomさんは11月24日より3日間の探訪をスタート。初日は県南東部を中心に、翌日は中部から南西部を中心とした取材。Yasukoさんは25日朝から行動開始。一方同日、ルナルナさんの案内によりnomnomさんの探訪予定地を効率回ることができた。宮島の門前の町並、廿日市市地御前を歩き、広島市西部の草津でYasukoさんが合流。ここから実質今回の会がスタートしていたといってよい。孫右衛門は都合あわず同行できなかったが、旧道を経由して可部の町並、ルナルナさんの見つめる東広島市志和町志和堀、海田町の旧山陽道の町並を歩いた。

地元のルナルナさんの的確なご案内で、要所を漏れなく探訪できたことをこの場を借りて改めて一同感謝致します。



志和堀の風景(写っているのはnomnom氏)



牡蠣づくしの料理を味わう
夜は孫右衛門、西山遊野さんも含め、ルナルナさんをゲストとして懇親会。西山遊野さんは24日に大崎下島の古い港町御手洗を歩き、竹原市の沖に浮ぶ大久野島に一泊したあと、島の毒ガス工場の跡地などを見学し、大崎上島木江を訪ねての合流だ。丁度旬を迎えた牡蠣料理を賞味した。フライをはじめ殻ごと丸焼きにしたもの、牡蠣鍋など牡蠣尽くしの品々。中でも酢牡蠣は地元でしか味わえないもので、特に東京のnomnomさんにとっては珍しい食し方だったと思うが如何だっただろうか。
今日までの報告、最近訪ねたところの話題であっという間の3時間だった。特にルナルナさんの民家、そして民俗に対する詳しさは皆が引込まれるようで、情熱が伝わってきた。

翌日はルナルナさんに代り孫右衛門が三人の案内役である。まずは市南東部の矢野の町。ホテルからの交通の便の悪いnomnomさんを出迎え、残る二人はJRで矢野駅まで来ていただく。この町は実は孫右衛門の地元で、メンバーが3人も広島に集まるなどとは滅多にないことでぜひとも案内したかった。ただ古い町並として多く残っているというわけではないので、ご満足いただけるかが不安であった。
かつての町の中心には袖壁や出格子の残る家、路地風景などが点在する。それらは私が普段から自転車で数限りなく走り見てきたもので、そんな町にカメラを構えた3人が居るのが不思議だ。
案内する道順は改めて考えなくても即座に決まる。しかし私が普段町並探訪しているよりもゆっくりした速度で、メンバーとじっくりと町を見ていくと普段とは違った雰囲気が感じられる。象徴的だったのはYasukoさんが発見された古い銭湯の建物。このお宅はいつもの自転車の通り道ともいえるところで全くなじみの建物なのに、銭湯だった面影が残っているとは今まで全く気付きもしなかった。町並という点で皆さん共通していても、各々の主な関心事や見方は微妙に異なる。私は家並としての風景を重点的に見、個々の細部はおろそかになる傾向がある。その盲点を突かれた気がした。
30分余りで終ってしまうだろうと思っていたがやや時間オーバーし、その分皆さん興味深くゆっくりと味わって貰えたようで満足だった。

矢野の「看板屋敷」を興味深く眺めるメンバー

呉市吉浦の造り酒屋付近で
国道31号線を南に20分ほどで吉浦の町に達する。ここは私も以前ざっと歩いたことがあるが、造り酒屋「中野本店」付近以外は古い町並としては多く残っていない。しかしここはYasukoさんにとって重要な予定地、かつて海軍の遊里が存在していたのだという。nomnomさんも含め遊郭探訪は、根幹テーマの一つになっている。私はそのような眼でここを訪ねたことはなく興味があった。
残念ながら目星をつけた地区を歩いても痕跡はほとんど感じられなかった。わずかに国道沿いに木製の手摺のあるそれらしき建物を発見できた程度。しかしYasukoさんのこの町を歩いている時の眼の色や動きに、旧遊郭探訪に対する並々ならぬ情熱を感じた。
呉市の中心街近くに港町川原石がある。そちらの方がむしろそれらしき色が濃く暫し下車して撮影する。


次の目的地は川原石からもすぐの両城地区を中心とした斜面上住宅地である。nomnomさんにとってはここが今回のメインディッシュとのことで、山間部の天界の村と呼ばれる集落や、長崎など都市部の急斜面集落などを見てきて、この両城を知って以来、早く訪ねたいとの思いを持ち続けていたという。私も一度だけこの集落を歩いたことがあるが、余りに急なため恐怖感を感じるような階段もあり、恐ろしい所だとだけ言っておいた。
まずはその階段に三人を案内する。当日は時々雨の降る天候で、足下も濡れている。恐怖感を味わうには絶好の条件だ。この二百階段は、最初こそ緩やかだが途中から急激に勾配がきつくなり一気に尾根筋まで直線的に駆け上る。マンホールも設置場所に窮しステップからはみ出しているようなところである。
階段の頂上付近からは反対側の斜面に整然と雛壇のように住宅が密集し、この二百階段と並び称される百階段とよばれる急階段が駆け上がっているのが見え、呉の中心市街地も一望できる。どうも最近映画の舞台地ともなったらしく我々以外に若い女性の方がこの階段を上り下りしている姿があった。結構有名になっているらしい。

両城の二百階段を登る参加者



七曲りというヘアピン状の細道、そしてさっき望んだ百階段方面の尾根筋を伝い、斜面上集落を実体験した。連日の町歩きで痛む膝をかばいながらも百階段を登りきるnomnomさんの姿に、この集落に賭ける思いが伝わってきた。何度も来たいという感想がそれを象徴していた。
近くの三条商店街でお好み焼で昼食し、呉市街中心部に残るという旧遊郭の建物を追うも面影なし、海上自衛隊の赤レンガ倉庫と潜水艇などを少し見て、音戸大橋を渡り次の目的地である音戸の町並を案内する。
音戸の町並は橋のたもと付近を中心として長いため1時間以上かかると計算していた。日の短い晩秋で、しかも今日は曇りのためおそらくここが最後の目的となろう。
古い町の残る地区の東南端からスタート。この町は私自身何度も歩いており、的確に案内できるものと思っていたが、ここでも見落しがあった。造り酒屋「花鳩酒造」の裏手の土蔵の造り出す路地の風景である。私は「音戸にも造り酒屋がある。但し古い建物はない」と言ってしまっただけに少々バツが悪い。
それにしてもいつもの私の探訪速度とは違い、ゆったりした歩度で散策を進めていくと、町並が海岸線に沿い非常に長いことを再認識する。漁家だけでなく、古くから漁網商を営んで繁栄した旧家や、呉服商などを営んだ大柄な町家も残っていて、島の中心の繁華な昔を感じながらの町歩きだった。橋の近くで、石畳の路地や玄関の形など、遊郭の面影を感じさせる一角も残っていた。nomnomさんの判定では間違いないということで、Yasukoさんも満足の様子だった。
音戸を歩き終えるともう薄暮の気配。暗くなる僅かな時間を利用して西山遊野さんのテーマの一つである「橋梁」の取材のため能美島(大柿)への架橋である早瀬大橋を往復。時間があれば南下し倉橋方面の漁村集落をという予定だったがここで打ち切りとなった。私の案内した最終日は余り好ましい天候ではなかったが、しかし内容的には充実したものを各人感じて貰えたのではないだろうか。
私にとっても、一つの偏った眼で歩いていることを感じ、また再訪の大切さを認識した一日だった。

(孫右衛門 記)





音戸の町並にて

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