川尻の郷愁風景

山口県油谷町<漁村> 地図 <長門市>
 町並度 5 非俗化度 10 −険しい地形を克服した漁村集落の姿−


 川尻は石垣の漁村集落です。極めて乏しい平地の両側を歩くと斜面を克服しながら町を広げていった苦労が伝わってきます(西地区)。




 東地区。屋根が路地に接しています。 川尻漁港近くの町並



 本州の最北西端といわれ、日本海に突出した川尻岬周辺は山が海に没する険しい地形、一転して穏やかな浜など多彩な海岸美が展開している。また美しい棚田もあり魅力的な地域である。
 岬の名前の付いた川尻集落は、半島の日本海に面した今では小さな漁村である。
 川尻浦と呼ばれたこの村は元禄11年に鯨組が結成され、下関から鯨網、肥前唐津・呼子などから五隻の鯨船、技術者の導入を得て操業を始めた。「鯨一頭獲れば七浦賑う」といわれ、最盛期の明治初年には240戸余りに及ぶ漁業集落となり、28隻の船団が組まれていた。
 私はこの集落を訪ねる前、東に位置する長門市仙崎、北側の青海島にある通集落を訪ねた。通は鯨の墓などがあることからも捕鯨で栄えた町との知識を得ていたが、調べると仙崎もそしてこの川尻も捕鯨集落であった。北長門の漁業はかつて鯨とともにあったのである。
 捕鯨業なき現在では過疎化・高齢化が進んで漁業は後継者難が続いているということで、町を歩いても人通りは稀である一方、家々は海に流れ込む細い沢沿いの谷間にひしめくように重なり合っている。捕鯨で潤っていた頃に谷間から尾根筋に向って無秩序に住宅地が広がっていったことを感じさせる。
 谷間から港を経由して海岸沿いに集落の外に向う道以外は自動車は全く進入不可能で、脇道に入ると直ちに石段の路地となる。傾斜が急であるため路地に家々の屋根が接している。その反対側は練石積で、その上にまた民家が建てられている。そういった高所にある御宅でも漁網が軒先に吊るされたりしている。
 この路地は袋小路が無数にある。集落を周回する道筋は数本に限られているようで、横道に入るとほとんど民家の庭先に行き着いてしまい、その都度引返すことを繰返した。
 高みから見下ろすと、古くからの谷間の家々はやや大柄な家々であるのに対し、斜面を登るに従い小規模で質素な住宅が中心となるようだ。石見地方を中心に見られる赤瓦はその谷間に集中していた。捕鯨時代の富の名残か、商家風の建物も数棟残っていた。
 
 




港近くの町並  東地区の路地風景
 

 

東地区。階段状になった路地からは日本海が見下ろせます。


訪問日:2004.09.20 TOP 町並INDEX