紀伊木本の郷愁風景

三重県熊野市<商業町・漁村> 地図
 
町並度 6 非俗化度 5  −東紀州の中心地−




木本町の町並
 熊野市は三重県の南端近く、紀伊半島東岸の太平洋に直面する町である。三重県とはいいながら北側の尾鷲以北とは山地や険しい海岸線が障壁となって交易は容易でなく、鉄道も紀勢本線が和歌山県側から延びてきて長らくここが終点となっていた。


 熊野という地名は紀伊地方の古い呼称を戦後の市制施行に伴い付したもので、この町の旧地名とは無縁のものだ。近年の市町村合併を想起させるが、まだそれに比較すれば良いほうであろう。
 この東紀州一帯は木の国とも呼ばれる。旧市街の名が木本と呼ばれるのは或いはそのためであろうか。年間4000mmに及ぶ厖大な雨量が付近の山地に降り注ぎ、温暖な気候とともに木材の生育にはこの上ない環境下にある。
 木ノ本浦は紀州藩の港町で、江戸時代には代官所と奉行所を置くなど領域北東部の中心地として位置づけられていた。深い入江を持たないため港としては大きく発展することはなかったが、広大な木材の産地を後背地に構え、その取引で栄えたほか、熊野街道を通じての往来が多かったことも商業町としてのこの町の発展に大きく寄与した。
 町並の風景も港町や漁村の風情はなく、商家が連なる都市型の町並だ。中心部では造り酒屋をはじめとした商家・町家建築が連なり、紀伊半島南東部の僻遠地の印象は歩いていると払拭される。しかも舗装が擬似石畳調に改修されたり、街灯も凝った造りに変えられているのは、古い町並よりは世界遺産に登録された旧熊野街道を意識してのことだろう。熊野街道という宣伝文句が町を歩くと眼につき、それに誘導される素朴な店舗なども古い町並目的に訪ねる客を前提にしてはいないようだ。しかしその観光地的な取組により、結果的に古い町家建築などが保存されることにつながっている。質的に決して低くないそれらの建物は、古い町並としても十分に見るに堪える風景を演出している。他力本願のような町並保存だが、まあどんどん更新されて全国画一化されたような住宅地が出現するよりはよほど良い。
 訪ねた時、町の氏神様の祭が行われていて、地域の若者が神輿を担いで熊野灘の海岸線まで一気に走りこむ勇壮な風景を見ることができた。ここより南の海岸線は七里御浜と呼ばれる円弧を描く非常に美しい浜辺で、足を踏み入れると観賞魚の水槽の底石を大きくしたような丸石が一面に広がり、極めて歩きにくかった。












訪問日:2010.10.10 TOP 町並INDEX