本州最南端を占める串本町の市街地から南東方向、潮岬の半島と並ぶような位置に大島はある。橋により本土とは陸続きとなっている。 中心となる大島港は島の西端近く、串本市街地と対峙するような位置にある。 |
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大島の町並 | |
古くは大島浦と呼ばれ、藩の御蔵所(年貢を収納する蔵が置かれたところ)であり、漁村より商港の色が濃いところであった。近隣の浦々の海産物や鰹節などの加工品はここに集められて廻船により大坂や江戸に運ばれた。樽廻船・菱垣廻船(上方と江戸との間に就航する廻船)の寄港も頻繁で、大いに賑わった港町であった。明治初年の記録では、商業30、船大工8、旅舎6、船宿32、漁業36などどいった戸数分布であった。 町並は港を取囲むように円弧上に連なる地区と、そこから小さな岬を挟んだ海岸部に跨いで展開する。密集漁村集落的な町並景観もあるが、やはり商港としての要素が強かったのか二階部に木製欄干を持つ家も多い。かつては遊興的要素もあったようで、その名残もどことなく感じられる。 一方、島の東端近くに位置する樫野地区。こちらは大島港とは趣を異にした集落風景が展開していた。海岸線から離れた台地上に展開し、特徴的なのが石垣が多用されていることである。今ではブロック塀に改築されているところも多く必ずしも昔ながらの石垣の率は高くは無いが、台風をはじめとした強風対策として、古くからのこの地区の風土を感じる思いがする。 江戸時代は古座組に属し捕鯨も行われていたという漁村集落であるが、集落内はむしろ農村集落的な雰囲気が漂っていた。 |
樫野の町並 |
訪問日:2014.12.28 | TOP | 町並INDEX |
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