木江の郷愁風景

広島県木江町<港町> 地図 <大崎上島町>
 町並度 7 非俗化度 7 −風待ち港・造船業で栄えた町−







 木江町は竹原市南沖の瀬戸内の島、大崎上島の南部を占めている。
 町域は北側を急峻な山々に囲まれ、平地が少なく、近年まで海上交通に頼らざるを得なかった。但し、その分海上交通が発達しており、周囲に島が多く波穏やかな海域であったため、海運全盛の時代には風待ちの地として大いに賑わった。


木江の天満港付近の路地の町並
 

 
 その中でも深い入江状となっている木江港は、天然の良港として享保年間(1720年前後)頃より港町としての体裁が形作られ始めたといわれる。それまで農業が主な産業であったが、立寄る船が増したことにより海運業に従事する者が増した。特にこの町を特徴付けているものが造船業で、明治期頃より木造船の建造基地としての歴史が今でも続いている。既に鋼船も製造され始めていた時代であったが、第一次大戦の折に鋼材が不足したことにより木造船の需要が増大し、大正6年には町内で造船所が25に達している。造船に関連して船具業、特に船釘の生産も盛んになった。今歩いても船具店の看板のある店舗が多数眼につくこともそれを証明しているようだ。
 古い港町としての町並が残るのは主に町の玄関・天満港の周辺で、海岸に造られた新道の山手には軽自動車がやっと通れるほどの路地が伸び、その両側に木造建築がひしめき合っている。建ちの高いつくりで三階建となっているものも多く、路地幅の数倍の高さを持ち極めて立体的な家並景観を示している。その為路地は薄暗く、ここだけ他とは別次元の町のようであり、そして時が止まったような強い印象を訪ねる者に与えてくれる。
 これらは港町時代の繁華街、旅館そして遊郭として栄えた名残であるという。人通りのほとんどない現在でもその雰囲気を残しているし、2・3階部に通りに面して木製の桟を張出させた姿は、遊興の地であったことを色濃く伝えている。2階に簾を掛けたものもあり、京都祇園を想起させる一角もあった。
 長距離航路の寄港地としての役割は、帆船が衰えて石炭船時代になってからも、九州から阪神方面への船舶の中継地として食料・飲料水等の補給港としてここが位置づけられていたことから繁華な港町としての賑わいが近代まで続き、戦後しばらくまで「オチョロ船」
(遊郭に待機する女郎を沖に投錨した船に通わせる小船)が存在していたといわれる。
 それにしても現在では建築が許されていない木造多層階建が何故この町に多く見られるのだろうか。これらは明治から昭和初期、まさに木造船の製造が盛んだった時代の建築である。造船の町として、豊富な木材を背景とし、狭い土地の故、平面的より立体的に居住空間を広げていったからなのか。詳しいことはわからない。この路地から少し離れた町の一角には五階建という驚異的な木造建築も残る。
 今では細々と続けられている造船と、戦後盛んになった蜜柑栽培の町となっている。










極めて珍しい五階建の木造建築
   

訪問日:2004.01.18
2016.01.03再取材
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