桐生の郷愁風景

群馬県桐生市【商業都市・産業町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 5 −上毛の味わい深い織物の町−
 


本町一丁目の町並


 桐生というと織物の町という印象がまず先行することだろう。江戸時代より盛んに行われていた当地の織物産業は明治以降になって産業の近代化とともに急速に発展し、大規模な工場や織物学校などの養成施設も次々と建設され、現在では桐生織という名の伝統的工芸品として評価されている。




本町二丁目の旧矢野本店(有鄰館)




本町一丁目の町並 有鄰館脇の酒屋小路



本町二丁目の町並


 桐生の織物が本格的に知名度を増すのは近世に入ってからで、慶長5(1600)年関ヶ原の役に際して小山の徳川軍に旗絹を献上したこともきっかけと言われている。18世紀の元文期に、江戸に在住していた京西陣の大工により西陣織の技法が伝えられ、江戸からの注文が飛躍的に増加し桐生の絹織物は一躍脚光を浴びることとなった。「西の西陣、東の桐生」といわれ、「桐生は日本の機(はた)どころ」と『上毛かるた』にも詠まれた。
 古い町並が展開するのは両毛線の駅前付近からはやや離れた本町界隈で、この辺りが昔ながらの桐生の町である。町立てされたのは江戸初期の慶長年間で、当時は桐生新町と呼ばれていた。天満宮を北の起点として約1kmの区間を町人町として商人を住まわせた。この桐生新町では年に一回市が開かれ、おもな取引は繭や生糸と織物との取引であった。後背地に勢多郡の養蚕地帯を持っていたことも織物産業が栄える大きな要因だった。
 南北に連なる本町通りに沿い、土蔵を中心として出桁の町家建築が見られる。それらは散在的ではあるが重厚な造りのものが多く、絹織物の隆盛を感じさせる。
 町並の中心に有鄰館と称される旧矢野本店の建物群がある。江戸中期にこの地にやってきた近江商人がルーツといわれ、味噌や醤油、酒など醸造業一式を手掛けた商家だ。煉瓦造りの蔵群は観光用に使われることもあり、また南に接する路地に面しては黒板壁に被われた土蔵が連なっており、酒屋小路と呼ばれ親しまれている。
 本町通りが他都市とを結ぶ幹線道路ではなく、市街地を南北に貫く生活道路であることが、大規模な都市開発から逃れ続け往時の町並を残す結果になっているのだろう。
 

 


宮本町一丁目の町並

訪問日:2008.10.11 TOP 町並INDEX