黒田の郷愁風景

愛知県木曾川町【城下町・街道集落】 地図 <一宮市>
 
町並度 3 非俗化度 9 −木曽川左岸 美濃を控える地にある旧城下町・街道町−
 







黒田東町北の町並   
 

 木曽川町黒田は木曽川の左岸、対岸は岐阜県という場所に立地する。東海道本線と名古屋鉄道本線が地区の中央を縦断し、高速道も通過するなど幹線交通に沿っているが、旧市街地は細い道路が交錯した個所が多く、余所者にはなかなか訪ねにくい地区でもある。
 中世には黒田城が存在した。現在は取り壊されているが黒田小学校の辺りにあったとされ、城西などの地名が残る。天正12年の小牧・長久手の役で織田・徳川連合軍の拠点となり、両軍の兵が駐留することとなった。関ヶ原合戦時は秀吉の部将一柳直盛が城主となっていたが、これを機に伊勢神戸城に移封され、黒田城は廃城となる。同時に黒田藩も廃され尾張藩に組込まれた。
 黒田にはまた交通の要衝という側面もあった。中世には美濃墨俣から下津(現稲沢市)とを結ぶ鎌倉街道と呼ばれる道筋にあり、また東山道との分かれ道にもあたっていた。黒田城なき後は町はさびれたが、それでも旧鎌倉街道沿いでは市が立つなど賑わいを見せた。美濃路・起宿の助郷村でもあった。しかし、一宮村に三八市という市が開かれてからは急速に衰えたという。
 この付近の地図を見て、まず城下町時代そのままと思われる地名・字名が多く残っているのに驚く。それらが複雑な町割を示す一方、往還西など街道沿いを示すものもあり、城下町・街道町として発達した町の歴史を見るようである。しかし、古い町並としては東海道本線木曽川駅東側の南北の
街路筋にわずかに残っているのみで、家並から歴史を感じることは難しくなっているのが現状である。
 そんな中で、街道筋と県道が交わる辺りには「硝子店」の文字が読み取れる古びた看板を掲げる商店建築を筆頭に、幾つかの古い家屋の並びがあった。この界隈には辛うじて往時の面影が感じられた。この少し北側を東西に流れる水路沿いにも倉庫や土蔵などが見え、裕福な商家の存在を感じさせるものがあった。 





黒田東町北の町並 黒田往還南西ノ切の町並






黒田東町北の町並  黒田西町北の町並

訪問日:2020.07.19 TOP 町並INDEX