喜多方の郷愁風景

福島県喜多方市<商業町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 2 −蔵の町という代名詞にふさわしい北会津の町−


 

蔵座敷が公開されている甲斐本家とその中庭

 喜多方とは字面のいい地名である。江戸期には会津盆地の北部にあることから北方と記されていたが、廃藩置県後周辺諸村との合併を期に喜多方と改称された。東部の猪苗代湖、磐梯山周辺などの自然系観光資源と組合せ、観光目当の訪問者も多く、ご当地ラーメンの元祖ともいえる喜多方ラーメンも有名である。


甲斐本家付近の町並




寺町の大和川酒造(右端の樽の所から伏流水が湧出している) 南町の町並


 人口数万人の小さな地方都市でありながら、大都市近郊の後発的な衛星都市などとは全く異なる歴史の重みを感じさせる町である。その重さを象徴しているのが市内に2,000棟以上あるとも言われる土蔵群であろう。蔵の町という代名詞で売り出されているのは誇張ではない。
 盆地の端という地形的な特色から水利に恵まれ、古くから酒や味噌醤油などの醸造業が興っていた。それらを収納する場所として土蔵が建てられ、また立派な蔵を建てることが喜多方に住む男の夢ともされた。若松(会津若松)に対する敵愾心もそうさせていたのだという。土蔵の一番の利点は火災に強いことで、明治13年の大火の際にも多くの土蔵が焼残って、現在の町並景観に深く関与している。
 
 会津地方北部の流通の中心となる在郷町として長い歴史を誇るこの町では、それらの土蔵の姿を見て廻るだけで当時の殷賑振りを伺うことができる。 
 この町を代表する座敷蔵を有する甲斐本家は、黒漆喰の極めて重厚な姿を通に面して構えている。素晴しい回遊式の庭園を前に、内部に格調高い木材を遺憾なく使用し贅を尽くしたその座敷蔵は、会津北方の商人の真骨頂を見るようだ。
 また喜多方町として合併する前に一つの町場をなし、その中心であった南町にはモーツァルトを聴かせてもろみを醗酵させているという小原酒造をはじめとした土蔵が連なっていて、甲斐本家付近を上回る町並景観があった。この界隈は最も喜多方らしい味わいがあり、土蔵の町と呼ぶにふさわしい。また少し外れたところには、同じく造り酒屋の大和川酒造が土蔵を数多く従えた姿で、醸造に使う伏流水を贅沢にも噴出するがままにさせ、旅人の喉を潤わせてくれる。




中央通りの町並(再訪時・アーケード撤去後)



中央通り裏手の土蔵群
 メインの南北の通りは近年になってアーケードが撤去され、そのため見つけにくかった店蔵が全容を現している。 店蔵よりも敷地内の「座敷蔵」や裏手の収納蔵などがはるかに多いこともあり、思ったより蔵作りが少ない印象を与えるが、アーケードにより見えづらくなっていた事も大きかった。様々な表情を見せる蔵造りの建物を見て歩くだけでも楽しいものがある。

※後半3枚は2015年再訪時の画像

訪問日:2005.05.20
2015.09.21再取材
TOP 町並INDEX