小浜の郷愁風景

兵庫県宝塚市<寺内町・宿場町> 地図 
 
町並度 3 非俗化度 6 −寺内町から宿場町へ移りかわった台地上の町−


 宝塚市小浜は市街地の東部、住宅地の一角を占める。JRや阪急の駅からは東に約2kmのところにある。この地域は15世紀末の明応年間に浄土真宗の寺が建てられ、その寺内町として大きな発展をみたところである。独自の自治集団であった寺内町は周囲に濠を穿つ例が多く、代表的な奈良県の橿原市今井などにも残っている。
米谷の旧和田家住宅




小浜の町並


 この小浜では濠の代りをなすものは台地の斜面であった。周囲より一段高い土地となっており、町の中は平坦さが保たれているが区域の西側を流れる川は深い峡谷状をなし、さらに西に向うと急坂をとなっている。それらの地形が自然の城郭をなしていたのだろう。
 江戸時代に入り、小浜は現宝塚市域では最初に町として整備されている。それは寺内町の中に湯山(有馬温泉)や西宮方面に向う街道が通っていたことと無関係ではない。次第に宿場町としても整備され、江戸末期の嘉永4(1851)年には問屋や旅籠をはじめ200軒余りの家屋が並ぶ大きな町場となっていた。産業も興り特に酒造業が盛んで、小浜流という独特の醸造法で知られていたという。近くには灘を控え、酒造地帯の一角を占めていたようだ。また大工も小浜大工の名で呼ばれ、京都御所蛤御門の再建などを手掛けた名棟梁も生れている。
 寺内町当時からの街路割をはじめ旧街道は明確に残っているが、阪神淡路大震災時に甚大な被害を受けた地区でもあり古い建物は多くがその時に更新された。町の西外れの街道筋にある旧和田家(宝塚市歴史民俗資料館)と旧宿場町の中にある数棟の建物は伝統的なつくりを保っているが、連続した箇所はなく古い町並としては残念ながら評価し難い。残されたのは数少ない古い建物をどう活かしていくかの一点だろう。



小浜の町並 三笠町の町並


訪問日:2008.11.23 TOP 町並INDEX