国分の郷愁風景

鹿児島県国分市【武家町】 地図
 
町並度 3 非俗化度 7 −朱塗りの門が残る城跡の南側に展開する外城集落−






旧国分城跡の石垣と朱門 南側には外城集落の名残が見られる


 
国分の町を象徴する風景は国分小学校の敷地に残る朱門であろう。国分城(舞鶴城)の跡地で、この門はかつての南門であった。石垣と堀が現在も明確に残っており、歴史を伝えている。
 舞鶴城は関ヶ原の合戦の翌年、島津義久によって築かれたものである。諸国の脅威に対抗するため隼人の富隈城からここに移り、城の南側には城下町を建設し本格的な町造りも行った。鹿児島の鶴丸城完成までは島津氏の本城的な役割を果たしたともされており、以後も鹿児島藩の外城の中でも筆頭格の位置にあったものと考えられる。
 国分は鹿児島藩にとって産業上重要なところとして、海岸部には大規模な塩田が造成され、またタバコ栽培も督励された。特に後者は国分煙草として藩内のみならず全国にも有名なものとなった。
 門と石垣に厳かさを感じる小学校の東側には高等学校も隣接し、文教の一角となっている。かつて城下地であったというその南側は、幾分か麓集落らしい佇まいが感じられた。家々を囲う石積にはツル性植物などが絡み、ブロック塀であっても苔が付着したりして不思議な風合いが感じられるのが面白い。瓦を載せた門、また一部では石柱門も見られた。
 古い町並というより城下町・外城集落の遺構といった印象であるが、町歩きには適した一角である。

 









訪問日:2020.01.02 TOP 町並INDEX