駒場の郷愁風景

長野県阿智村 <宿場町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 8 −世代交代をしながら三本の交通幹線が集中する−
 

駒場の町並 西部を中心に伝統的な家並が残る


 駒場は古代東山道時代に阿智駅が存在しており、歴史の古い街道集落である。地名も駅馬のあるところという意味が含まれている。
 江戸期に入ると伊那街道として整備され、宿駅・駒場宿として往来の多数の人々や物資を受け入れた。他の伊那街道沿道と同様に中馬が盛んに行われたほか、三河方面に向けてはこの先峠の連続する山岳区間となり、また南に接する浪合には関所も設置されていたため、利用する客も多かったのだろう。西に向かい木曽に向かう清内路街道もここから分岐していた。
 この地区には近年中央自動車道が建設され、国道も山側に走っているため三世代の道路交通が付かず離れず並行している。中央道は恵那山トンネルで一気に美濃に抜けてしまうが、伊那街道は峠道を経て平谷宿から上村街道を経由していた。中馬による物資輸送のほか、伊勢、そして善光寺に参る庶民も多く利用した道である。
 阿智川に沿った低いところに展開する旧道は宿場街から商店の連なる町の中心へと変化している。しかし西部では比較的その度合は低く、切妻平入りの古い建物がある程度の連続性を保っていた。間口は総じて広く、宿場町あるいは明治以後の商業中心地としての姿をとどめている。郵便局として使用された洋装の建物が残っているのもそれを物語っていた。








旧郵便局の洋風建築も残る

訪問日:2011.07.17 TOP 町並INDEX