洞泉寺町・東岡町の郷愁風景

奈良県大和郡山市<花町> 地図(洞泉寺町)地図(東岡町)
 
町並度 6 非俗化度 6 −江戸時代に遡る廓街−





 城下町大和郡山は現在に至ってもその町割を良く残し、伝統的な建物も広範囲に見られる。ここで紹介する洞泉寺町・東岡町は城下町の中でも特殊な役割を担っていたところである。
 洞泉寺町は名の示す通り洞泉寺の門前にある町で、三河国挙母
(ころも・現在の愛知県豊田市)城下にあったものを天正13(1595)年に移したものである。関ヶ原の戦いにより郡山城が廃されたため、元和元(1615)年に入部した水野勝成はここを仮住まいとするなど、格付けの高い寺であったようだ。
 特殊な役割というのは、近くにある岡町と同様に江戸時代から廓街として長い歴史が刻まれてきたことだ。
 
洞泉寺町の町並


洞泉寺町の町並


 戦後に売春禁止法が施行されるまで、この二つの町は花街として成立していた。一部ではごく最近まで現役であったとの情報もあるが、町並の紹介を旨とするため余り詳細には触れないこととする。奈良県内ではこの郡山新地と呼ばれた一角のみが廓街として認可されていたこともあり、大層な賑わいだったのだそうだ。両町とも木質感の高い旅館建築が未だに残りかつての残照を伝えている。特に東岡町に於いてその実感が歩いていると強く感じる。
 木造三階建ての旅館建築に挟まれた路地、一部には旅館の看板が残され艶かしさを感じる。或るものは軒下にぼんぼり状の照明設備がそのまま残されており、また他のものは路地に面した二階部に、木製の精緻な欄干が施されている。それらは遊郭建築の象徴的な姿であり、細やかな格子窓なども一般の町家建築に見られるものよりも豪華で見映えがする。
 ただ廃業されて時間も経っていることもあり、会社の事務所や貸家として使われている姿もあるが、大半は空家となっており行く末は保証されていない。空地も目立ち徐々にかつての体裁が失われていることは明らかである。
 折しも洞泉寺町ではカメラを構えたグループが探訪されている光景が見られた。歴史的な性格上、表立って保存活動という形は難しいのかもしれないが、建築物としての価値は相当高い水準であることは間違いなく、何らかの手を打ってほしいものである。


洞泉寺町の町並 東岡町の町並




東岡町の町並



訪問日:2010.03.28 TOP 町並INDEX