三代の郷愁風景

福島県郡山市宿場町 地図 
 
町並度 4 非俗化度 8 −白河街道の宿駅−








トタン屋根の大柄な家々や土蔵の見られる三代の町並

 
 白河から山間部を縫い会津地方とを結ぶ国道294号。このルートはかつての白河街道を踏襲している。
 勢至堂峠を越え、猪苗代湖の南側に展開する平地と山地の交錯するあたりには街道当時の宿駅がいくつか形をとどめている。この三代(御代)地区は峠を控えた位置にあり、また福良村との境には山王坂越という小峠もあったため当地には口留番所が設けられていた。口留番所は旅人や荷物の改め、勢至堂峠の警備などを行い4人前後の役人が詰めていたといわれる。
 三代宿は本陣も備えた本格的な宿場町が形成され、会津藩をはじめ越後新発田藩・村上藩の参勤交代にも使われた。享和2(1802)年には鶴ヶ城に向う伊能忠敬もここに宿を取ったといわれる。
 町並は一目で街道集落とわかる佇まいを示していた。街路は途中で直角に折れ曲る形となっており、その付近に本陣跡がある。多くの家々ではかつての屋号を記した札を掲げており、宿駅時代を風化させまいと努力されている姿が見える。主要街道とは異なり家々の建て方はゆとりがあり、街路に面して門を持ち塀を巡らせた邸宅や土蔵を従えたものもある。また主屋が取壊されたことで複数の裏手の土蔵がよく確認できる事例もあり、一軒一軒の敷地が広く豪農家が連なっているような印象を抱かせる。屋根は主にトタン葺きであり、一部は屋根の形からかつて茅葺であったことを思わせた。
 安政4(1857)年の大火で30軒余りが焼失し、その際両側に一間ずつ退いて道を広げたという。そのため現在も二車線の道路と歩道が設置できる道路幅となっており、主要街道の宿場町以上のものがあった。
 
 
 




建物裏手に見られる土蔵群

訪問日:2019.04.29 TOP 町並INDEX