小坂の郷愁風景

秋田県小坂町【産業町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 5 −鉱山とともに発達した町−
 

 小坂町は県の北東端、町域の一部には十和田湖も含まれる。大館市と鹿角市からともに10km前後の位置にあり、以前は大館から鉄道で結ばれていたが廃止されている。
 その鉄道は通称小坂鉄道と呼ばれ、小坂精錬が運営していた工業路線である。小坂は鉱山でその一時代を築いた町だ。遡っては江戸後期の文久期、百姓であった小林与作が発見した銀鉱山からはじまり、慶応3(1867)年に盛岡藩の命により精錬所が計画された。その後明治に入ると官営となり、銀だけでなく黒鉱と呼ばれる鉱石から銅や亜鉛などが精錬され、近代的な工場が建設され生産量が増した。鉄道が必要なほどだったのだから、それがいかに多かったがわかろう。
小坂精錬の工場群






 現在は人口も5000人余りの小さな町であるが、小坂は秋田市に次ぐ第二の都会とも言われていた時期があったほどである。明治末期頃の町内の人口は約2万5千であった。恐らく鉱山の労働者や関係者を足すと3万くらいになったのだろうか。
 小坂精錬は現在も銅などの精錬を行っている。町の中心部から東側の山裾にある工場はレンガ造りの建物などが残り、それ自体が古い町並的な風情をかもし出しているといえる。
 また、中心部にも鉱山町として繁栄を極めた重厚な名残が見られる。日本最古の芝居小屋といわれる康楽館は重要文化財に指定され、現在も定期的に芝居を開催している。建物は明治43年築で、鉱山に労働する者が多く押しかけ、ひと時の娯楽を楽しんだのだろう。
 この康楽館の近くには旧鉱山事務所の建物が威容をあらわしている。1997年までは事務所として現役で使用されており、その後現在の位置に移築され観光施設の一つとなっている。そのたたずまいは、現在の町の規模や雰囲気とは余りにも不釣合いなものに感じられた。
 康楽園・鉱山事務所あたりは明治百年通りという名で整備されており、旧小坂鉄道の終点小坂駅付近がレールパークとして駅舎や車両が保存されているなど、観光要素が濃い一角となっている感は否めない。しかしこれらを見ることでこの町がいかに鉱山によって成り立ち、またその栄え方が大きかったかを理解することができるだろう。




旧鉱山事務所 康楽館 (現役の芝居小屋)



訪問日:2016.12.30 TOP 町並INDEX