小雨の郷愁風景

群馬県六合村【山村集落】 地図
 
町並度 4 非俗化度 6 −草津温泉の「冬住みの村」の名残が感じられる集落−


役場から道を挟んだ反対側にある「冬住みの里資料館」


独特のせがい造りで間口の広い迫力ある建物だ


 小雨地区は六合
(くに)村役場もある集落だが、村の中心とは思えないほど僅かな人家が固まっているだけのところである。
 役場の建物を見下ろすようにして重厚な木造建築と蔵群がある。これはこの村そして草津温泉の歴史と深い関わりのある伝統的建造物だ。
 村の西側の山上にある草津温泉は標高1000mを超える地にあるため冬は寒冷の上積雪も多く、江戸時代には冬は一切旅客営業を行っていなかった。旅館業を営む者は冬の間、麓に位置するこの付近に移住し、副業をしながら春を待ちまた山の上に戻っていき、それを毎年繰返す生活をしていた。
 移動は集団で行い、下る日は11月8日、戻る日は4月8日と定められ、仮の住いも集団生活に適した大柄な家屋も多かった。その典型例がここで紹介する「冬住みの里資料館」として公開される建物である。この地方独特のせがい造りと呼ばれる出桁構造の建物は非常に間口が広く迫力を感じる。内部には心棒ともいうべき太い大黒柱が一本、棟の中央に威圧感を抱かせるほどの存在感で立っている。周囲を大人が三人係りで抱え込むような太さだ。この柱が二階の天井まで突き抜けており、大黒屋という屋号もここから付けられたのだという。
 明治に入ると次第に冬でも草津に留まる者が増え、30年頃にはほぼ冬住みの習慣は消滅した。この小雨村を含む谷間は草津とは関係がなくなった。この六合村はもともと草津村の一部であり、明治33年に分村した際、分かれた区域にあった6つの旧村をとって六合村と命名し、読み方は古事記の「天地四方をもって六合
(くに)と成す」というくだりによるものであるという。明治以降、自治体は常に合併の繰返しであり、このように分村という珍しい現象も、草津の冬住み習慣の廃止を考えると納得できる。
 周囲には土蔵や養蚕を行っていたらしい越屋根のある民家が散見されるが、古い町並として連続した風景があるわけではない。しかし地理的立地条件、そして草津温泉の賑わいによる独特の住習慣であり、草津と同時に訪ねることによりその高い訪問価値が理解できるだろう。
 


小雨の町並


訪問日:2008.10.13 TOP 町並INDEX