越谷の郷愁風景

埼玉県越谷市宿場町 地図
 
町並度 4 非俗化度 8 −日光街道 江戸から三番目の宿駅−





 

 
越ヶ谷本町の町並 中町の町並


 
越谷市は東武鉄道によって東京都内に直結し、さらに一部の列車は地下鉄に直通することもあって、無数にある郊外都市の一つに含まれる。
 関東平野にはここをはじめ谷の付く地名が多いが、多くは土地の低い所や湿地帯を意味している。この越谷も幾筋もの河川に囲まれたところにあり、古くから治水と農業用水の整備に力が注がれ、稲作に適した土地に改良された。水の多い風景は水郷とも呼ばれ、風光的にも優れた土地だったという。なお近年までは越ヶ谷と表記され、戦後の大合併の際に旧越ヶ谷町と周囲の自治体とを区別するために改められた。そのため中心部の住所表記は現在でも越谷市越ヶ谷となっている。
 
かつての奥州街道、後の日光街道が通過するところで、慶長年間に宿駅に指定された。以前より定期的に市場が開設されていたように、農村地帯である近隣の物資が集結し、また商業の中心ともなり町場化されていった。越ヶ谷宿は江戸日本橋から数えて三つ目の宿場町であり、また東西方面への脇街道を分岐する交通の要衝であった。またかつて治水に悩まされた河川は運送に活用され、江戸にも近いことから川港も発達した。中でも元荒川に設けられた瓦曽根河岸は100石積の高瀬舟を4隻常備されていた記録が残っている。
 旧日光街道は現代の道路がそのまま踏襲している。旧越ヶ谷宿の辺りには、出桁の町家をはじめ黒漆喰に纏われた土蔵建築などが所々に残り、古い町であることを感じさせてくれる。さすがに連続性は失われてはいるが、周囲がマンションもあれば全国にチェーン展開するスーパーマーケットなども見られるどこにでもある典型的な近郊型の都市風景が展開している中で、この街道筋だけは未だに宿駅時代から続く古い土台を礎にした町の風景が残っている。
 越ヶ谷宿の歴史を伝える生き証人として何とか風化させず残していってもらいたいものである。

 




越ヶ谷本町の町並 越ヶ谷三丁目の町並




中町の町並 大沢一丁目の町並
  
 
訪問日:2007.05.26 TOP 町並INDEX