神浦の郷愁風景

長崎県大島村<漁村> 地図 <平戸市>
 町並度 8 非俗化度 7 −捕鯨漁業を基盤とした密集漁村集落−
 









漁家・町家が高密度に連なる神浦(こうのうら)集落


 神浦は平戸島の北10kmに位置する的山
(あずち)大島の集落で、切り込んだ入江に沿う平地ともいえないような僅かな平場に所狭しと漁村集落が展開している。その姿が深い歴史性と独特の景観を保っているとして、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 古来この島では捕鯨が盛んで、井元組をはじめとした捕鯨組織があり、神浦はその拠点として賑った。井元氏は鯨組を創業し、17世紀後半にはここに漁村集落を形成している。小さな川の河口に向って深い入江となっており、地形からしても島随一の良港であった。河口を挟んで西側を船引場とし、東側は一部を埋立てて鯨組の諸職の細工場を設けた。
 明治になって和式捕鯨が影を潜めて以後も、近隣の海域が格好の漁場であったことから西日本各地より漁船の来航が途切れることなく、神浦は彼らの停泊するところとして殷賑をきわめ、料亭が並ぶほどだったという。昭和に入ると漁船の大型化などもあって、徐々にその機能も失い零細な漁村へと傾いていった。
 しかし集落内には捕鯨で栄えていた頃に遡るような伝統的漁家建築が現在でも残っている。保存地区選定にあたっての事前調査で、江戸期に建築された町家が24棟もあるということが判明した。明治期、大正期に建てられた古い家屋も50棟近くあり、それらが軒を接して隙間無く連続している。
 それらの姿は木質感の高い外観で、狭い土地のため間口は狭く奥行も商業町の町家建築のような鰻の寝床状のものとは程遠く、一見簡素な外観の家々である。だがその中にあって軒下に持送りという腕木を設えた町家が多く見られ、それも装飾の意味合いを強め、家々の間で競い合ったであろう色がうかがえる。また一部では摺り上げ戸(商家では一般に蔀戸という)、玄関の潜り戸などの見られる伝統的な家屋が見られ、それは捕鯨業から明治期の港町としての発展期に商家として繁栄した家だったのだろうか。
 密集漁村集落の典型的な姿であり、取壊されて更地となった箇所もほとんどなく、また新しい建材を用いて建てられた現代風の住宅は皆無と言ってよい。そうしたことから、きわめて貴重な町並といえよう。
 メディアで報道されることも多くなっているらしいが、原型を失わす残していって欲しいと願う。






 

 

 
 
訪問日:2010.08.15 TOP 町並INDEX