子安の郷愁風景

横浜市神奈川区<漁村> 地図
 町並度 4 非俗化度 6 −都市域に奇跡的に残る舟屋風漁村集落−


 子安は横浜の都心からもそれほど遠くない位置にあり、幹線国道や東海道本線、京浜急行電鉄が近接して東西に走っており、交通上の動脈に接する地区である。また湾岸部には都市高速の高架橋が見える。
 その高架橋付近は運河状の入江となっており、これは埋立てによりかつての海岸線が後退した形だ。埋立地は倉庫群が景色の多くを占め、また工場地帯として利用される殺風景な土地利用である一方で、旧海岸線には独特の風景が展開していた。
 




 子安地区の水際風景 密集する船とそれを受ける舟屋風の建物が独特である
 
 
 埋立地とを結ぶ幾つかの橋上からは密集した船舶の群れが見える。或るものは漁船風の小船であり、一方他のものは錆びたトタン屋根を葺き、稼動しているか判然としない繋留物件である。また或るものは、あたかも屋形船のように客を乗せる設備をそなえている。
 そして陸地側には非常に間口の狭い簡素な建物が同じく密集している。構造は独特で、木製の杭を水中に打設しデッキ状としたものが多い。また無骨な木製の桟橋が建物の間から伸びており、乗船できる造りになっている例も多い。
 横浜という大都市域にあってきわめて特異な風景といえよう。水際に接する独特の建物は舟屋を思わせる。舟屋というと丹後半島にある伊根が有名であり、入江沿いの道を挟んで母屋と舟屋が対峙し、舟屋の1階部に漁船が収納される仕組になっている。一方で子安のそれは単に水際にせり出した建造物であり、舟屋といえるかどうかはわからないが、外観上やその密集度からそう呼んでも差支えないのかもしれない。
 古くは東海道に面する村で、宿駅であった神奈川宿の助郷として大通行の折には駆り出されていたという。少し中に入ると、町家風の建物や土蔵がわずかながら残っているのが見える。しかし子安村自体は純粋な漁村であった。大正期までは漁業が基幹産業で東京築地に出荷していたが、工業地帯と変貌していく中で衰退を余儀なくされた。
 近年舟屋集落として着目されているとも聞く。都市部にあるから注目されるということもあるのだろうが、それを差し引いても稀少性の高い町の風景である。
 
          




  一角には町家建築や土蔵のある風景もあった

訪問日:2012.05.26 TOP 町並INDEX