宮内の郷愁風景

広島県口和町【宿場町・産業町】 地図 <庄原市>
町並度 4 非俗化度 10 −砂鉄生産で栄えた陰陽連絡路の宿駅−



口和町宮内の町並


 中国山地の山襞の中にあるこの口和町宮内は、かつて雲伯路という陰陽連絡の街道上にあり、宿駅が置かれていた。主立った高い峰はないものの、東西に横たわるこの山地は人々の往来を阻んだが、峠が低いために多くの街路が貫いていた。商都三次から次の宿駅・新市宿の間、小さな峠を控えた位置にあり、休息をする旅人も多かったものと思われる。
 ここが街道沿いの集落としていつ頃成立したかは詳らかではないが、中国山地一帯で盛んだった製鉄と無縁ではなかったといわれている。江戸時代には周囲の谷で得られた砂鉄が一旦この宮市に集められ、鉄倉と呼ばれる建物に保管され後に舟運で運び出されていた。
 宿場町としても旅籠が存在したほか、酒造家・醤油屋・酢屋などの商家100余軒が軒を連ねていたと伝えられる。
 県道が川を挟んだ東側に新設されたため旧街道界隈は風情が保たれているが、「商家100軒余」どころか商いをしているらしい家は僅か数軒しかなく、家屋全体でもそれに届かないほど規模は縮小している。砂鉄の生産は鉄山が官営となった明治以後もしばらく続いたが、大手製鉄会社の台頭もあり急激に衰退した。それとともに近年の過疎化の影響もあり、現在では山間の小集落といった雰囲気しか感じられない。
 しかし瓦屋根を載せた門を従えた屋敷、平入りの町家建築、土蔵など伝統的な造りが見え、かつては栄えていたことを伺うことができる。
 そして過半数が赤褐色の瓦で葺かれていることが、雲伯路という古くから陰陽連絡の街道に沿う集落であったことを唯一証明するものであるようだった。
 









訪問日:2007.11.03 TOP 町並INDEX