九条界隈の郷愁風景

大阪市西区【都市部の非戦災地区】 地図
 町並度 5 非俗化度 8
 −淀川河口近くに浮ぶ砂洲から開発された町−
 




九条二丁目の町並




九条三丁目の町並


九条三丁目の町並



九条二丁目の町並



九条三丁目の町並
 

 この九条界隈は住宅地と商業地が入り混じるやや雑然とした地区で、第二次大戦時に焼け残ったエリアも多いため小路や路地が多く、古びた町並が展開している。
 地下鉄でも最近開業した近鉄の新線でもアクセス可能であり、阪神高速の高架を潜って西側に向うと網目状に路地の錯綜がはじまる。長屋風に連なる古い建物が随所に見られ、それらは重ね継いだような独特の外観をした屋根を持っている。この屋根は大阪の非戦災地区で特に目立つ。次に目立つのが切妻平入の町家風の外観を持つ家屋で、一部には袖壁を両妻に従えた本格的なものもあった。また一部には袖うだつを立上げたものも見られた。
 藩政期に摂津国西成郡に属していたこの付近はもともと淀川河口付近にある中洲であったという。町場として開発されていったが淀川の流れを妨げるようにもなったため、洲の中心に安治川が開削された。その西側は西九条と呼ばれ、今でも地名が残る。古くは舟運上、大坂の入口にあたっていたこともあり入ってくる諸船が必ず通過し、ここで荷揚げされる物資も多かった。北側に隣接する本田地区には船手の組屋敷やその他港湾に関する施設が立ち並んでいたという。
 現在は港湾に関する建物は見ることができない。住宅地化してしまい都市型のマンションなども至るところに出来、それが旧式のたたずまいと混在している。そうした中で一本小路に入ると、前述のような大坂の非戦災地区独特の町並が展開している。
 安治川には人道トンネルがあり西九条地区とを結んでいる。船舶も上下するため架橋するにも桁下空間が必要であり、歩行者が容易に川を渡れないからでもあろう。周囲にはやや殺風景な港湾地区といった風景が展開していたが、安治川が開削された時以来の水運の拠り所としての機能はまだ失われていないようであった。
 
 




本田四丁目の町並


訪問日:2009.03.28 TOP 町並INDEX