唐人町付近の郷愁風景

熊本市唐人町他【城下町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 6 −商人町の風情が残る貴重な市街地−






西唐人町の町並 マンション等に混り伝統的な建物が連なる風景が残る 
 
 

 熊本の城下町構成の基本は加藤清正によって築かれ、かつて隈本と呼ばれていた旧城下町を再編し、特に商人・職人町を改めた。新町・古町・京町の三町構成を完成させ、さらに寛永9(1632)年に入城した細川氏により武家地の整理が行われている。
 現在の市街地の基盤となった町の構成であり、無視できない歴史であるが、市街地は二度にわたりことごとく焼き払われている。一つは太平洋戦争時の空襲であり、さらに遡って明治前期の西南戦争時の薩摩軍による放火である。特に後者では一望千里の荒野と呼ばれるほどに消失し、したがって江戸期からの建物はほぼ残っていない。
 第二次大戦時も徹底的に空襲被害を受けたため多くでは伝統的な姿が残っていないものの、先の商人町であった付近は戦災を奇跡的に受けなかった地区があり都市化の影響下にありながら古い町並といえるものを残している。
 その地区の中心に位置するのが坪井川である。この川は熊本城の南際を流れ、外堀としての機能も有していた流れであり、新町と古町を分かつものでもあった。市街地の中に潤いを感じさせる親水空間を生み出し、一部では古い石橋も健在であって歴史性も強く感じさせる。
 その石橋の一つ、明八橋を中心とした地区には、第二次大戦時の戦災を免れた西南戦争以降の姿が比較的よく残っている。平入りの商家建築で、一部では現在でも現役だ。東は辛島町などの中心繁華街に接し、マンションや近代的な複合ビル建築が主流でありながら、根強く残るそれらの姿は意外性に満ちている。
 また、熊本は市電の走る町であり、路面電車と伝統的な建造物との取り合わせも実に絵になる。西唐人町界隈を中心に、古い建物を生かした町づくりが行われているようで、今後その活動の広がりに期待したい。
 





西唐人町の町並 新町二丁目の町並






紺屋町一丁目の町並 万町一丁目の町並




細工町二丁目の町並 坪井川に架かる明八橋
訪問日:2011.04.29 TOP 町並INDEX