隈之城の郷愁風景

鹿児島県川内市<武家町> 地図 <薩摩川内市>
 
町並度 4 非俗化度 8 −中世に構えられた城の周りに郷士集落が形成された−



 
   
   




 
   


 


 
隈之城の町並 武家門が散在的に見られる
 

 鹿児島本線で川内の南隣に隈之城という駅があり、駅の東側にあたる県道沿いから隈之城川にかけて住宅地や小学校などが立地している。
 現在の小学校の南側にある小高いところには中世に城があったという。この二福城は当初島津氏が川内地方を支配する拠点となっていたが、戦国期になると入来院氏に侵攻され、付近に地頭を置いた。江戸に入る頃まで両氏の攻防が続いたが、元亀元(1570)年に入来院氏は島津氏に降伏した。島津氏は二福城付近に地頭仮屋を置き、周囲に麓が形成された。二福城は一国一城令で廃止されたので、以後は郷士集落として幕末まで続いた。
 県道などを通過するだけではそういった歴史をはらんでいることは気付きにくいだろう。その中で駅前から続く通りとの交差点付近北側に見える邸宅は見応えがある。階段そして手前を流れる小川には石橋が架けられ、それらが適度に風化し貫録を感じる。この流れに沿っては、このような武家屋敷が他にも続いていたのではないかと思われる。
 県道の東側には細い迷路状の路地が巡っており、そうした小路の所々にも武家門が所々に残り、一部には石柱門も見られた。石垣や生垣が連続した風景は少ないが、迷いながら門を発見すると、ここがもと郷士集落であったことを実感させられる。
 

訪問日:2020.01.03 TOP 町並INDEX