打吹山麓の郷愁風景

鳥取県倉吉市<商業町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 2  −土蔵群が有名だが表側の佇まいも見逃せない−

東仲町 桑田醤油商付近の町並
 

 倉吉の歴史は、打吹城の城下町として室町時代まで遡る。当時からささやかな城下町が存在し、小高い山の麓に職人町を形作っていたというが、江戸時代初期の一国一城令により、因幡は鳥取城が、そして伯耆は米子城が存置され、打吹城は廃城となってしまった。
 その後は商人の町として繁栄していった。職を失った旧城下の職人、近隣の小商人も集まり、一大商工業地へと発展していく。中でも近隣に中国山地を控え、良質の鉄が手に入ることから千刃(脱穀器)、そして郊外の沃野を開拓し綿栽培も盛んとなった。
 東仲町を中心とした一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、倉吉の商業の中心地としての名残が見られる。その中心にありもっとも印象度の強いのは桑田醤油店の商家群で、創業130年の老舗、明治の商家らしい立上がりが高く威厳を感じる。醸造場を経て裏手に土蔵を配する。その裏側は幅数メートルの玉川が流れ、桑田家をはじめとする商家の土蔵が連なり川には石橋が架けられ、倉吉を代表する風景として有名となっている。
 東仲町を挟んだ東側には、擬洋風建築の国立第三銀行倉吉支店(明治41年建造、現 倉吉大店会)が、白壁土蔵の和風との良い調和を見せ佇んでいる。この近くには、城下町時代の武家であった小田家が、ほとんど周辺に逸散してしまった中今でも唯一残っているが、外観は普通の民家と変わりなく改装されており、城下の趣を感じることはできなかった。
 近年、商店街のアーケードが取外され、その中にあった天保年間建築の高田酒造をはじめ古い様式の建物も数軒全容を現している。以前は町並らしいのは東仲町の限られた一角だけで、その割に観光地化が行われ外来客も多く不均衡な状態であったが、若干バランスを取戻し古い町並として望ましい状態に近づいたといえよう。
 保存地区を外れても、旧八橋往来沿いに街道集落らしいたたずまいを見ることができたり、また昭和の繁華街といった一角も残る。時間があれば打吹山公園からかつての城下町を見下ろしてみるのもよかろう。







倉吉を代表する玉川沿いの風景




魚町の町並 西岩倉町(旧八橋街道沿い)の町並




以前(2002年7月当時)アーケードに被われていた高田酒造付近 写真ではわかりにくいがカラー舗装のほか電柱の移設も行われているようだが建物自体は大きく手が加えられていない


※注記の画像以外は2009年9月再訪問時に撮影
訪問日:2002.07.07
(2009.09.22再取材)
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