市街地は平地に乏しく、二河川の土砂堆積によってわずかに広がる平野の三方を囲む山地の中腹にまで住宅地が駆け上っている。明治22年に海軍基地が開設されて以降、寒村だったこの町は急速に都市化していき、急増した人口はこのわずかな平地だけでは抱えきれずに、大正頃から斜面部を切り開いて住宅地が形成されることになった。同心円状に拡大していく市街地の中で、特に二河川の西側の三津田、愛宕、両城地区は斜面がとりわけ急峻で、宅地としてはかなり厳しい条件にある。しかし昭和に入っても国力増強の折もあり軍港としての位置づけがますます重要になっていったことにより、これらの土地も容赦なく宅地化された。
舌状に張出した尾根筋が全て住宅地になっている風景は異様であり、ある意味壮観である。「階段住宅」と言われるとおり、斜面上の住宅に向うには百階段や二百階段などと呼ばれる階段を上るしか手がなく、乗用車の入り込める路地を作る余地もない。雛壇状というにふさわしいほどの家並で、家々の前庭は桟のように崖に張出し、階段から下段の家の屋根が目の前に見える。階段の中には上から見ると恐怖感を感じるほど急峻なものもあり、マンホールすら狭い階段のステップから飛び出している。このような旧崖を宅地造成しなくてはならなかったのはよくよくのことだったのだろう。
またある所では、城の堀端などに見られるような、上に向って反り返った高い石垣を何段にも連ね、平場を造り宅地としている。大変な土木建築景観で、感慨すら覚える光景であった。
「階段住宅」からは呉湾や山々を望め風光はよいのだが、この階段を毎日上り下りするだけでも大変だろう。昔から住まわれている方は住めば都とはいうけれど、若者を中心に人口が流出し、この斜面上の住宅地は他に比べ高齢化がかなり進んでいるという。大雨や地震時には危険でもあるため、市はこの斜面上住宅地からの退去を勧告しているという。現実に他の土地に転居したのか空地となっているところも少なからず眼についた。戦争という特殊な状況下での遺産とも言えるこの住宅地。保存などということとは次元が違うと思うが、特殊な町並景観として記憶にとどめておきたい。
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