黒羽の郷愁風景

栃木県黒羽町<城下町・在郷町> 地図 <大田原市>
 
町並度 5 非俗化度 7
  -城下町が基盤 那珂川水運の最上流点として繁栄-








黒羽の町並



 黒羽町は県の北東部、那珂川中上流域に展開する。地図を見ないとわかりにくいが、栃木県の水系は北西部・中部、西部(両毛地方)はそれぞれ利根川の支流である鬼怒川・渡良瀬川の流域である一方、北東部は水戸を経て鹿島灘に注ぎ込む那珂川の流域となっており、水運が流通にしめる割合の強かった江戸期などは他の地域とは異なった、ひとつの画然とした商圏・交通圏域を形成していたものと思われる。
 中世からこの土地には黒羽城が存在していた。那須地方の有力な党派の一つ大関氏により統治され、天正4(1576)年に本格的に築城され、その後19世紀に焼失の憂き目に遭ったりしながらも明治維新まで大関氏の居城として存続している。同氏は、煙草や材木など特産品の栽培督励、那珂川の水運振興に尽力し、黒羽の発展に大きく貢献している。比較的流路勾配も緩く川幅・水量にも恵まれた那珂川はこの付近まで航行可能で、そのことが街の経済的発展に貢献したことは大きい。黒羽河岸は水陸運切換えの結節点として非常に重要な価値を帯びていて、煙草や材木だけでなく酒や醤油などの醸造加工品、米をはじめとした穀物などが集結した。廻米輸送にも利用され、会津藩の廻米もここから舟運に委ねられ江戸に運ばれていたのだという。
 明治に入り黒羽藩が廃されたが、当初から町制が施行され那須郡黒羽町として発展する。但し明治中期に現在の東北本線が県北部まで開通すると凋落が始まった。鉄道は水運とは比較にならないほど大量・迅速かつ正確な輸送を可能とした上に、沿線から大きく外れてしまったことから運輸の要所としての役割を失ってしまった。
 そのことが逆に現在に至るまで往時の町の姿を残す結果になっている。那珂川の流れに近い国道294号線はそのままかつてからの町の中心であったのだろう、重厚な造りの町家型建築、土蔵などが随所に残り古い町並を残していた。トタン葺きが目立つなど東北地方を想起させる部分もあり、石造の土蔵もアクセントを添えていた。
 現状として保存活用するほどの質量があるかどうかは微妙なところだが、取組次第ではまだまだ町並景観的魅力が引き出せるレベルであると感じる。期待したいところだ。
 





訪問日:2014.05.05 TOP 町並INDEX