久留里の郷愁風景

千葉県君津市【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −豊かな伏流水に恵まれた上総の城下町−



 君津市久留里は房総半島のほぼ中央、久留里線や国道は木更津市とを結び、どちらかというと同市とのつながりが強い地域である。内陸部ではあるが標高は50m未満と低く、周囲は穏やかな丘陵地となっている。
久留里(久留里市場)の町並

 
 
 戦国時代には久留里城が築かれ、上総国の軍事上の要地となっていた。安房国を本拠としていた里見氏が城主となっていたが、北条氏による度重なる攻撃を受け、城主が度々入れ替わっている。1577(天正5)年、里見義弘のときに両者はようやく和睦を結ぶにいたる。その後義頼の代に里見氏は再び安房国に本拠を移し、久留里城には城代
(城主に代わって統治を行った家老)を置いた。
 江戸時代関東一円が徳川氏の所領となると、家臣大須賀氏、土屋氏を置いた。土屋氏のときに御家騒動から一時廃城となったが、寛保2(1742)年に上州沼田より移ってきた黒田氏が藩主となって城を再興してからは安定し、幕末まで同氏が城主をつとめている。
 大須賀氏の時に城下町が整備され、現在の町の基礎が築かれた。城と木更津までを結ぶ久留里街道が整備され、城下や周囲の山村からの産物が集められて木更津の港から積出され、また陸揚げされた海産物や生活物資が久留里へ向った。また木更津に流れ下る小櫃川には河岸があり、船も遡ってきていたという。
 物資の集積から商業も興り、地域の中心として賑わった。現在でも久留里市場という地名が残っているのもそれを偲ばせる。
 久留里街道は国道410号が踏襲しており、基本的には商店街になっているものの伝統的な建物のまま営業されている姿も眼につく。間口の広く見応えのする老舗もあり、古くからの商業の発達を思わせる。横道や裏通りにも土蔵が多く見られるのも、それら商家の財力が高かったからだろう。また房州石を用いた塀も所々に見られ、風情を感じることができる。
 町を歩いていると、所々に独特の形をした井戸を眼にする。上総掘りとよばれる伝統の技法で掘られた井戸は城下町時代から人々を潤してきた。伏流水が自噴するほど水が豊かで、平成の名水百選に選定され遠くから汲みに来る人も少なくないとのことだ。
 













 
訪問日:2016.05.01 TOP 町並INDEX