草津温泉の郷愁風景

群馬県草津町【温泉町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 0 名物湯畑を中心に旅館街が広がる屈指の温泉地





夜の湯畑の風景


 草津温泉は「西の有馬・東の草津」と昔から言われる全国屈指の温泉地だ。名物湯畑からは毎分30立方メートルもの湯が湧き出し、周囲の多くの旅館に内湯に供給している。湯畑を象徴する光景が木製の樋の中を湯が通っているものだが、これはこの温泉にとって非常に意味のあるものである。一つは温泉の主成分である硫黄分を沈殿させ、内湯に引くパイプに沈殿物が付着するのを防ぐ働きをしている。また同時に内湯に引く湯を適温に冷ませる効果もある。さらに樋に付着した硫黄の成分は湯の花として採取され土産物としている。湯畑は草津の心臓部ともいえる場所だ。
 標高約1200m前後の高原に開ける温泉街は伝承によると12世紀末の建久期に源頼朝により発見されたともいわれている。しかし文献などに正式に草津温泉の名が現れるのは15世紀に入ってからである。室町期には既に天下の名湯として名が知られ、江戸期には何名かの将軍が江戸城内に温泉の湯を運び入れさせ入浴している。その他一般旅客の入湯者も絶えなかった。これは白根山などの風光に恵まれた高原に位置するその好環境と、その割には上信を結ぶ信州街道など幹線街道沿いからも近かったからだろう。そして何よりその効能である。硫黄分を含む強酸性泉は殺菌力が強く、皮膚病をはじめ万病に効能があるとされ、全国各地にその名が知れ渡っていた。
 現在はもちろん温泉旅館は通年営業で、近くにスキー場もあることから冬でも多くの宿泊客があるが、かつては春から秋の時季しか営業していなかった。冬は標高が高く寒冷の上、季節風の影響を受けて雪も深かったためである。温泉旅館を営むものは冬はふもとの村に降り、副業を手掛ける冬住みの習慣があった。明治後期にはそれも廃止され、年中客の絶えない温泉場となった。
 温泉旅館を中心とした草津の町は湯畑を中心に放射線状に発達している。湯畑周辺には江戸から明治創業の老舗旅館が今でも多く残り、建物は新しく普請されてはいるが伝統的な佇まいを残している。あちこちに無料の共同浴場があり、浴衣姿の宿泊客が入ったり出たりしている姿はいかにも温泉場らしい光景だ。また温泉の川が流れる西の河原公園に向う通りに面しては土産物屋が建ちならんでいて、その界隈も古い構えのまま営業されている店舗があり、温泉町らしい風情を感じさせる。
 伝統的な建造物群というのとは少々異なるが、湯畑の独特の風景と周辺の佇まいは深い歴史に根ざしたものであり、古い町並として紹介したい。




老舗旅館が連なる迫力ある温泉街




木造三階建の老舗旅館・山本館付近の町並 湯畑から連なる土産物街にも伝統的な佇まいが残る



訪問日:2008.10.12・13 TOP 町並INDEX