久世の郷愁風景

岡山県久世町<宿場町・在郷町> 地図 <真庭市>
 町並度 5 非俗化度 8  −出雲街道と大山道の追分の宿 商業も栄えた−








 
久世の町並 所々に見応えのある商家建築も残っている

 久世町は旭川上流の山間の町である。西隣の勝山町とともに近隣の中心地区として古くから栄えてきた。川運では久世河岸が設けられ、北部の山地で産出される鉄、葉煙草などが積出され、高瀬船として岡山城下方面に運ばれて行った。また、陸上交通では出雲街道の宿駅、後に伯耆往来への追分の宿となり交通の要衝となった。
 現在河港としての面影はほとんど残っていない。しかし宿場としての遺構を、久世駅の南東、国道181号を挟んだ周辺に見いだすことができる。
 慶長9(1604)年、津山藩の諸街道整備の一つとして、久世村に一里塚の設置を命じたのが宿場としての歴史の始まりと言われている。元禄年間には伯耆街道も久世を経由するようになり、津山藩営の御茶屋(本陣)が置かれた。春秋には牛馬市も立ち、商業の一大中心ともなった。今でも町中心部は飲食店等が多く、津山方面からわざわざ訪れる客もいるほどだという。また、享保12(1727)年に幕府領となってからは代官所が置かれ、18世紀後半の天明年間には久世条教という商業・風紀に関する条例が施行されたり、久世教諭所の設置など政治の中心、教育の発信地となった。町の東側の遷喬尋常小学校(現在の遷喬小学校)の洋風校舎が、現在でも異彩を放っている。
 町並は国道を挟んで南北に分かれて残り、南側では大半がアーケードの中に飲み込まれ、東端の一部にわずかに古い面影を残している。白漆喰に固められた土蔵造り、つし二階の町家があり、妻部には土佐で特徴的な水切り瓦に似た施しが見られる。また、北側は久世駅の東側、小さな流れを渡った辺りにある程度まとまった町並が残り、中には本瓦葺や煙出しの小屋根、大戸の残る旧家もあった。どの辺りが追分か定かではないが、町並地区が一街路筋のみに留まっていないことからもかなりの規模の町であったことが想像できる。
 見たところこの町並は特に具体的な保存もなされていないようで、国道沿いの更新されたエリアに侵蝕されつつあるように感じる。特に北側の一角は古い町並としてもまずまずの家並が残っており、これから行動を起しても決して遅くない。地域住民が早く町並を認識して、保存に向けた活動を起されることを期待したい。
 洋風学校建築の旧遷喬尋常小学校を呼び水として、周囲の町家群に誘導するといった方法も考えられる。




国道より南側の町並 川沿いに立派な老松が残る







旧遷喬尋常小学校

訪問日:2002.11.03
2015.03.22再取材
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