坂下・沓掛の郷愁風景

三重県関町【街道集落・宿場町】 地図(沓掛付近を示す) <亀山市>
 
町並度  4 非俗化度 8  −東海道の宿駅とその助郷村−
旧坂下宿。残念ながら往時の雰囲気は感じられない。


 東海道は鈴鹿峠を挟んで東側に坂下宿、西に土山宿があり、土山側はゆるやかだが、伊勢方は比高が大きく険しい峠道であり、坂下の名もそこから付せられたのだろう。
 坂下は大きな宿場で、土山宿へ2里半、東隣の関宿に1里半で、宝暦の頃(18世紀中盤)には既に153軒もの人家が並び、3つの本陣と1つの脇本陣が指定され、旅籠も約50軒存在していた。それでも大通行時などは宿場内の人員ではさばききれず、助郷という臨時雇いの村を指定していた。ここで紹介する沓掛がその一つである。
 坂下と沓掛はお互いが手がとどかんとするほど近接していて、旧東海道も途切れることなくその街路筋を残しているが、両者の今の現状は全く異なるものがあった。
 国道1号線は南側の山肌にバイパスが建設され、二つの集落内は関係ない通過車両は皆無で、宿場町としての賑わいが想像できないほど静かである。坂下は或いは近代になって国道となった折に改修されたのかもしれないが、隣の関・土山宿とは違い大型車のすれ違いも可能なほどの道幅を有し、三方を山々に囲まれた景色からいよいよ峠に挑むといった風情が感じられる。
 但し、この坂下には古い町並が全く残っていなかった。家並自体も連続した箇所は少なく、その中に切妻平入りの古い様式の建物が、所々に数軒見られるのみである。3軒もあった本陣の建物は全て取壊され、中でも大竹屋と呼ばれた最大の本陣屋敷跡は茶畑となっていて面影を偲ぶべくもなかった。簡素な案内板があったが知らなければここが大街道の宿場町であったことは、全く気付かないだろうし、また通ることもないだろう。
 宿場町に限らず、古い町並が都市化によって潰され、全く原型を留めない例は無数にあるが、現代の町から外れて国道も迂回しているのに、ここまで残っていないのは不思議な思いすら抱かせる。明治に入って宿駅制度が廃止され、さらに鉄道が開通し関に駅が設けられると、大阪方面はみなこの鉄道で奈良方面に向ってしまい、この坂下は通過点にもならないような場所になったのだろう。そして稼ぎのほとんど全てを旅人に依存していた住民が一時に離村したに違いない。
 鈴鹿峠から反対方向に少し坂を下ると沓掛の集落で、道幅は坂下の半分程度、これが東海道本来の幅員なのだろう。助郷とされた東海道の街道町は小さな集落だったが、こちらは格子が綺麗に保存された町家が数軒連続し、僅かではあるが古い町並として評価できるものがあった。その前後にも旧家が点在、焼板を巡らした土蔵や軒下の幕板など伊勢地方らしい風情を残していた。
 





沓掛の町並






沓掛の町並

訪問日:2006.10.09 TOP 町並INDEX