朽木の郷愁風景

滋賀県朽木村<街道集落・在郷町> 地図 <高島市>
 町並度 5 非俗化度 6 −鯖街道沿いに発達した町−
 

 この辺りが朽木(くつき)の谷と呼ばれるのは琵琶湖に注ぐ安曇川の中上流域に属する細い谷が南北に連なっているからで、琵琶湖沿岸とは異なった政治・文化的地区をなしてきた。
 鎌倉時代には荘園が置かれ、朽木氏による支配下にあった。朽木氏は関ヶ原の合戦にあたって徳川方についたこともあってこの谷筋の支配を強化していった。1万石にも満たない旗本であったが江戸への参勤交代も行われたという。
 地図を見るとこの地区の独自性がわかる。谷は琵琶湖の西に聳える比良山地の裏側に長々と伸び、その南端は途中峠を経て京へ手が届かんとする位置にある。また北は若狭にも近かったことから、両者を結ぶ貴重な街道が谷間に開かれていた。
 京の都人の厖大な消費は日本海の魚介類にも及び、若狭湾からの最短ルートに当っていたため朽木にはそれらを運ぶ商人などの往来が多かった。鯖の道または鯖街道と呼ばれ、特に小浜で水揚される鯖は塩で〆られ、一晩寝ずに京に運びこむと、丁度良い塩梅となり庶民にまで愛された。街道の終点は賀茂川と高野川の合流する左京区出町柳付近であった。
 


市場の町並





 
朽木の中心集落・市場には古くから町が開けていたらしい色が感じられ、平入りの町家建築や一部には茅葺の旧家も見られる。町並は一本道に沿い連なり、幾度か直角に折れ曲ってもいるため宿場町の様相である。しかしここに宿駅が設けられたということは明確に記録されていない。或いは幾ばくかの旅籠などはあったのかもしれないが、日本海の海産物をいち早く都に運ぼうとする街路であったため、泊地としては発達しなかったのだろう。
 産業としては中世から続く林業があり、安曇川の水運により琵琶湖沿岸に運び込まれた。今に残る
伝統的な家々の主なものは商家や問屋に源を発するものであり、旅籠や茶屋などよりも在郷商業町としての賑わいが大きかったものと思われる。商業の興りは室町時代後期までその記録が残っており、当時既に市場には米や魚などを扱う17軒の商家があったとの記録があり、江戸から明治にかけてはそれらの他炭や桶・傘・豆腐などを商う家々が多く、また医者や質屋などもあったという。今でもその名残として象徴的なのが角地に建つ3階建ての洋風建築・旧「丸八百貨店」である。ここが周辺地域の中心として賑っていたことがわかる。登録文化財となっており、内部は公開され売店や喫茶店などとして利用されていた。

  




丸八百貨店(登録文化財)

訪問日:2009.08.14 TOP 町並INDEX