桑原宿の街道風景

長野県更埴市 <宿場町> 地図 <千曲市>
 
町並度 5 非俗化度 9  -北国西街道の宿駅-
 


 
緩やかな坂道に沿い一直線に連なる桑原の町並




このように長屋門風の門が見られるのも特徴的だ。




 

 北国西往還は別名善光寺街道とも呼ばれ、中山道の洗馬宿(現塩尻市)から郷原・村井宿を通って松本城下に入り、そこから山中に分け入り麻績宿などを経て、長野盆地に下り北国街道の篠ノ井宿に達する街道である。西・南信濃からの善光寺参りの主要道であり、また中山道を通して上方方面からの物資、文化が移入されてきた。
 この桑原は善光寺平と呼ばれる長野盆地の入口にあたり、中世から周囲に複数の山城が構えられるなど軍事上の要点ともなっていた。また鎌倉期以来、上諏訪上社の鳥居の造成にも携わっている。
 中世からここには宿駅が設けられ、藩政時代には松代藩域の西の入口として口留番所もおかれた。宿駅として、また町場としての機能は次第に北側の稲荷山に移されたというが、それでも難所猿ヶ馬場峠を控えた間の宿としての役割を持ち続けていた。江戸初期の元禄時代では屋敷数77軒の内46軒が伝馬役を勤めていたという。
 盆地と山地の接点にあるこの桑原では、松本方に向い登り街路は登り一方で、その両側に伝統的な建物があちこちに残っている。但し道は一直線であり、街道の家並が一目で見渡せる。一般に宿場町では防衛のためわざと見通しを悪くし、作為的に直角に街路を折ったりすることもあるのだが、ここでは見事に一直線である。しかも坂の勾配も一定で、開放感を感じさせる町並であった。
 家々は漆喰で塗り回されたものが多く、切妻平入の形式を取る。過半数の町家には袖うだつが見られ、そして屋根に飛出した小部屋が印象的であった。これは養蚕の盛んだったこの地方を特徴付けるものだ。そして特筆すべきは長屋門風の立派な入口を母屋の横に備えた屋敷が複数見られたことだ。これは武家町というより豪農屋敷のものと思われる。江戸後期以降は、宿場町半分、農村集落半分の佇まいだったのだろうか。
 なお、街道はここから善光寺平を見下ろしながら急坂を上っていた。このあたりの篠ノ井線の風景が、日本三大車窓として有名であるが、かつての旅人も眼下に善光寺平の展望が開けて来た時、些かの感動を覚えたに違いない。街道筋からは少し外れるが、姨捨駅付近では有名な棚田風景越しに善光寺平が見下ろせる。田に水が張られた頃、月がその一枚一枚に映る「田毎の月」が有名で、江戸時代には芭蕉が名句を残した地でもある。
 



姨捨駅付近には有名な棚田が残る

訪問日:2006.04.08 TOP 町並INDEX