桑名の郷愁風景

三重県桑名市宿場町・城下町 地図 
 町並度 4 非俗化度 6  
−城下町・川港町に加え七里の渡しを控えた東海道宿場町として発達した−



 


 
西矢田町の町並


 


 
 東矢田町の町並 西鍋屋町の町並 
 



 
 福江町の町並 西矢田町との境で旧東海道は直角に屈曲する 江場の町並 
 
 

 北勢地域の主要な町の一つである桑名は歴史的に城下町・宿場町・港町そして商業町とさまざまな側面を持ちつつ発展したところである。揖斐川・長良川・木曽川の三大河川の河口近くに位置することから、鎌倉期には十楽の津と呼ばれ早くも栄えていた。十楽とは商人たちが楽市楽座的に自由に取引のできる市があったことから名付けられたといわれる。
 中世後期に築城された桑名城は、関ヶ原の役後に徳川家譜代であった本多忠勝が初代桑名藩主として入城、城下の町割が整備された。桑名町は延宝7(1679)年には既に2万人を超える人口を有し、武家屋敷754軒、町家1800軒余りを数えた。伊勢湾に望む城地は現在も残され、付近には城下らしい町名も多く残り面影を留めるが、城下町としての古い町並はあまり残っていない。戦災と伊勢湾台風により古い建物の多くが失われたという。
 港は江戸期も引き続き重要で、上流の美濃方面からの物資の集散地であったほか、旅人も多く港を利用した。東海道の旅客は熱田の宮駅から七里の渡しとよばれる舟運に委ねるのが一般的だったからである。ここが宿場町としても繁栄するのは当然のことだったろう。
 古い町並という観点では、この宿場町の名残を引継ぐ旧東海道沿いに若干残っている程度であるのが少々惜しまれるところだ。城の北にあった船着場から幾度か屈曲しながら城下町を辿った東海道は、やがて「矢田の立場」が置かれていた辺りに達する。立場とは旅人の休息する茶店などが集まっている場所のことで、桑名宿の西側の入口付近にあった。往時をしのばせる家並があるのはこの付近のみであるが、商家を思わせる建物など、質的にはまずまずのものが残されている。付近の案内板には、馬をつなぐための鉄輪が残る家もあると記されていたが見つけることはできなかった。国道1号を渡った西鍋屋町辺りには、短い区間だが横路地にも古い家並の連なる風景があった。
 大河川の河口にあって水害などの災禍にも見舞われてきた一方、それを上回る恩恵を得て大きく発展した桑名には有力商人も多く、その代表が米穀商、大地主でもあった諸戸清六であろう。市街地の北の六華苑に邸宅が保存されている。東海道の散策とこちらの見学を併せて訪ねたい。  
 

訪問日:2020.07.18 TOP 町並INDEX