小さな郷愁風景〜広島県の風景(2)〜

加計の風景 (加計町)

 
 県の北西部、太田川流域に位置している加計町は現在のように陸路が発達する以前は舟運で潤っていた町の面影をわずかに残している。
 中国山地一帯で産出される鉄や、藩の統制品であった紙・木炭・煙草他農産物、年貢米はここに集積され広島城下まで船で運ばれていった。元禄期には50艘の川舟を有し、船主たちは船株仲間を結成して運搬法、運賃などを制定していた。
 近年では高速自動車道の整備や旧国鉄可部線の廃線などで中枢的役割はおろか、通過点ですら無くなってきている。町はイベント実施など活性化を図るための手段を講じている。一層の奮起を期待したい。

(03.09.15)




大朝の風景 (大朝町)






県北西部にある大朝の町は南隣の新庄とともに山陰とを結ぶ街道に沿い古くから栄えていた集落で、定期的に牛馬市が開かれていて、芝居興行も行われいてた。そのような地域の中心であったが、国道の開通や過疎化により都市部へ人口が流出したことによって活気を失い、家並の一部に名残を留めているに過ぎない。
木造建築の旅館(左)も現役の建物として残り、街道上の町であったことを語っている。石見の赤瓦が目立つのも、山陰とのつながりを感じさせる。

(05.02.11)


祇園の風景 
(広島市安佐南区)


 祇園地区は古くから広島城下と山陰を結ぶ街道沿いに位置づけられており、街道集落を形成していた。明治期には畳の材料になる藺(イ)草の産地として栄え、街道の往来により各種商業も盛んだったようだ。
 国道54号線の西側に沿うこの街道筋は「旧道」と呼ばれ、市内北部に向う路線バスは今でも多くがこの街道を経由するが、幹線道路は国道のさらに東の祇園新道に移り、交通の動脈としての機能はすでに失われている。
 街路に接し平入り・袖壁付の町家が何棟か連続して残っているのは、ここがかつて主要道だったことを伝えてくれている。

(05.09.11)


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