前原の街道風景

福岡県前原市<宿場町> 地図 
町並度 4 非俗化度 7 −唐津街道の宿駅− 







前原中央三丁目の町並
 

 前原
(まえばる)市は福岡市の西に接し、近年になって市制施行するなど近郊都市として急速に発展を見た町である。
 この付近は古代史にとって重要な所らしく、3世紀に邪馬台国を構成する伊都国はこの前原付近に比定されており、外交・貿易の要地であったことは明らかにされている。伊都(怡土)の名と響きを同じくする地名として、市の北側を占める糸島半島にそれを求めることが出来る。ここでは割愛するが史蹟も多く、古代史の浪漫を感じさせるような地域である。
 さて、この前原には藩政期に豊前小倉と肥前唐津とを結んでいた唐津街道が通っていた。宿駅・前原宿は名前の由来が村の前が広大な原野だったことから名付けられたともいわれ、戦国時代までは寒村であった。唐津街道の整備にあたり、旧前原村の住民を強制的に街道沿いに移し、前原宿を建設した。城下町福岡の西の関門として黒田藩による関所や代官所が置かれており、宿場内には藩営の御茶屋があって黒田氏の長崎奉行や諸藩の参勤交代の折には本陣として機能していた。
 旧前原宿の街路筋は、国道202号線が偶々避けてくれたために辛うじて残っている。宿場町の東の入口で国道は南にそれ、西端より再び旧道を踏襲している。但し全体にわたり「前原名店街」という商店街になっているのが惜しまれる。
 とは言え伝統的な建造物は少なからず残っている。むしろ意外に良く残っているというのが正直なところだ。妻入りも見られるが多くが切妻・平入りの姿を示す建物群は、表向きは商店なので看板に被われ実態はわかりにくいものの、脇道から見るとそれらの間口の深さがわかり、また一部では土蔵を複数従えているものもある。その中にあって脇本陣を勤めた豪商・西原家(屋号綿屋)は格式の高い門を残し、主屋を修復の上食事どころや結婚式場などとしても活用されているようで、宿場町の繁栄の歴史を伝える生き証人である。幕末には大庄屋格を藩から与えられていた。
 この商店街は旧唐津街道、そして旧前原宿ということを「ネタ」として売り出しているような色が伺えたが、やや中途半端な感触も否定できない。できることなら町家建築の前に掲げた無粋な看板を全て外すことである。そうすれば素晴しい連続した古い町並が現れるのにと思った。大都市の近郊にあるからこそ、そこまで徹底することで高い存在価値が得られるのにと、そんな思いを抱きながらこの町を後にした。 

 




前原中央三丁目の町並




前原中央三丁目の町並 前原西四丁目の町並


訪問日:2008.08.15 TOP 町並INDEX