海津の郷愁風景

滋賀県マキノ町【港町】 地図 <高島市>
 町並度 5 非俗化度 7 −北国と畿内を結ぶ水陸継立の要地−

             



 琵琶湖は南部では穏やかな湖水風景が広がっているが、北部では山が迫り峻嶮な湖岸風景も現れ、冬には積雪をみることも珍しくない。地理的にも北陸との接点にあたるこの地域は畿内への玄関口として物資の往き来が激しかった所である。
 室町期には海津荘が立地し、また海津浦と呼ばれていたことから早くも港町としての胎動があったのだろう。江戸の中期以降物流が盛んになると、北陸街道がここに引入れられ陸水の境として一時物資が留め置かれることとなり港町として大きく発展した。当時の海津村は東町・中村町・中小路町の三町にわかれており、そのうち中村と中小路の間に船が出入できる港湾を構築した。北陸各地の城米、その他特産物が積出され、湖北地方では塩津とならぶ重要な港湾となり大津に次ぐ規模を誇っていたという。
 また物資が停泊するということはそれらを扱う人々も一時的に留まる地になるということで、海津は宿駅機能も有していた。助郷(宿駅業務を補佐する周辺の村)を持つほど栄えたといい、それは畿内と北陸を結ぶ幹線上の水陸結節点として、重要な位置を占めていたことをあらわしている。
 明治に入ると敦賀と大津を結ぶ幹線交通路に位置し、蒸気船が大津との間に就航している。今でも船を係留していた杭が湖岸に残っており、貴重な遺構だ。
 湖岸に沿う街路には木質感の高い伝統的な佇まいが展開し、また土蔵や造り酒屋なども見られ繁栄の昔を思わせた。湖側の家々の間からは湖水の広がりが見え、爽快感をおぼえる。湖岸に目を向けると貫禄ある石垣が連なった迫力ある風景が展開する。これが築かれたのは元禄期というから、港としての黎明期であった300年以上前から変らぬ遺構ということになる。湖岸だからとはいえ木々の緑と一体化したような石垣風景は、そんな年季あってこそのものと感じさせる。
 




元禄期に築造された石垣




家々の間からは琵琶湖の水面が見える


 

訪問日:2009.08.14 TOP 町並INDEX