真鍋島の郷愁風景

岡山県笠岡市<漁農村集落> 地図
 
町並度 6 非俗化度 7 -近海漁と花栽培で栄えた瀬戸内の小さな島-




本浦集落を俯瞰する


本浦の町並




本浦の町並 本浦の町並
 

 
真鍋島は笠岡市の南約15kmの沖合に浮ぶ小さな島である。笠岡諸島と呼ばれる島々の南部に位置する。
 島の北側に本浦と岩坪の二つの集落があるが、小さな客船が一日数往復するだけで、車を乗り入れることが出来ない。それは実際島を訪れてみると実感できる。二つの集落間、わずか1kmほどの海岸線にはそれでも道路と言えるもので結ばれているが、集落内ではほとんどが路地で、自動車がほとんど用をなさない土地である。軽トラックが数台あるだけで、それも車検を受ける必要もないのかナンバープレートを外されているものもあった。
 自動車交通の影響をほとんど受けていない集落。今ではこのような集落は島嶼部のごく一部に限定されているといえる。そうした意味からも、真鍋島のこの二つの集落は漁村集落の原型がよく残されているとして注目されている。
 しかしこの二つの集落はそれぞれに個性的で異なった風情を持つ。本浦は板壁に被われた漁村集落らしい佇まいが残っていて、中でも一部には厳かな門を構えた屋敷風の邸宅も見られる。真鍋の名は平安時代末期の水軍真鍋氏に由来すると言われ、平家に味方して水島合戦・一の谷の戦と転戦した。島はそのまま要塞の地として城が築かれていた。真鍋一族の本家が起居していた所は現在真鍋小中学校となっていて、その位置に立ってみるとなるほど周囲とは一段高くなっていて敵の襲来を見張るに相応しい所のようだ。この学校が建設される前は土塀を巡らし、豪壮な構えを見せていたという。
 一方岩坪は斜面を駆け上るような集落。海岸からは直ちに急な上り坂の細い路地となり、車の入れるような道は一本もない。蜘蛛の巣のように巡るそれらの筋からは、漆喰で固められた本瓦の屋根、反り返った板壁など瀬戸内といえども厳しい自然のもとにある集落であることを語っているようだった。
 訪れたのは冬の寒さの厳しい日で、地元の人すら見かけることは稀で、しかも集落内を歩くと空家を多く見かけた。廃屋と化し、重い本瓦を半ば崩れさせた姿。または戸板が外れ、部屋の中まで丸見えになっている無惨な家屋など、この島の過疎化進行は深刻である。見かける人も子供は居はしたが他は老人ばかりであった。若者は島を去るまで、とうとう一人も眼にすることはなかった。
 笠岡市は「花と歴史の真鍋島」として売り出している。戦前は除虫菊の生産が盛んで、島全体が菊畑といってよいほどであった。戦後は寒菊に転向したが、それも現在では高齢化が進んで生産農家も最盛期の三分の一程度であるという。
 島の漁業は細々ながら営々と続けられているようで、港では海藻を浜に干す姿、漁船の手入れをする姿などが見られた。多くの家々では鍵もかけて居られないようで犯罪などとは無縁といえる集落である。どうかこのまま島の伝統や文化が消えてしまわないよう、島を離れる時に願わずには居れなかった。

 
 




岩坪の町並


岩坪の町並
岩坪の町並

訪問日:2005.02.20 TOP 町並INDEX