丸森の郷愁風景

宮城県丸森町<商業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6 −阿武隈川の水運によってもたらされた在郷町−






丸森の町並 豪商だった斎理屋敷(斎藤家) 丸森の町並


 阿武隈川の流れに沿う丸森町。福島県との県境に近いこの町は川とともに発展してきた。
 町の中心の北側を東西に流れるこの川を眺めると、水量も豊かで護岸などの人工構造物も目立たず、この地域に潤いを与え続けていることがわかる。
 しかしその一方で水害も多く、当初の丸森村は現在より東側の台町付近に設けられていたが支川の合流点に近く低湿地帯であることから度重なる被害を受け、その後二度も町場を移転している。
 そのような苦労もありながら、それ以上の恩恵を阿武隈川から受けてきたのだろう。上流の福島県側からの廻米輸送の川港としてのほか、特産の和紙などの積出しも行われた。養蚕や木炭などの生産も盛んであった。
 水運の利便性を生かして多くの商人が育ち、その名残が町の中心に今でも息づいていた。ほぼ一本の通りに、土蔵建築が適度な間隔を置いて建ち並ぶ。中でも注目すべきは街路の中央に位置する「斎理屋敷」である。町一番の豪商であった斎藤家の建物で、代々理助を名乗っていたので斎理と呼ばれている。呉服商をはじめとして味噌醤油の醸造業をも手掛け、幕末から維新の頃には現在で言う上場企業並の商業規模を誇っていた。その後太平洋戦争の勃発によって商売を中止せざるを得なくなり、当主は仙台に移転した。その後長らく荒れていたこの屋敷を、斎藤氏は昭和61年町に寄贈した。町の整備により、現在の訪問客はその再現された姿を見ることができる。
 私が訪ねた時は探訪時間が限られていたことと、見学料が若干高めだったことでこの屋敷は訪ねなかったが、後になって少し後悔した。蔵を6棟も有し、豪商といわれたその暮らしぶりが余す所なく公開されているので、町並を歩くのみよりもこの施設だけを訪ねる方が充分丸森を訪ねる価値はあるようだ。私は町歩きだけでその真髄を訪ねず、片手落ちの探訪をしたようだ。
 この斎理屋敷の裏手には、斎藤家の土蔵が醸し出すいい路地風景があった。この路地は少しばかり観光地となった、雑誌に紹介されるような路地風景・土蔵風景よりは風情がある。観光客の姿がないだけそう感じる。
 その他にも木造の威厳ある旅館建築が残っていたり、斎理屋敷を中心に繁華だった頃を想起させるに充分な面影を感じさせる町並であった。
 阿武隈川の舟運は大正時代には廃れ、今では阿武隈急行が川沿いを結んでいる。






斎理屋敷裏の路地






一角に残る木造建築。旅館だったのだろう。

訪問日:2005.05.21 TOP 町並INDEX