間崎島の郷愁風景

三重県志摩町 【漁村】 地図  <志摩市>
町並度 5 非俗化度 7  −真珠景気で宝石の島と形容されたが・・・−



間崎島の集落風景
 間崎島は英虞湾の中央、東西に細長い形をした面積わずか0.36km2の小さな島である。平地は少ないものの台地状の地形で、東部を中心に海岸線の出入りが激しい。
 賢島港と和具港を結ぶ航路が寄港し、交通の便は良い。集落は港のある島の西部に集中している。
 島は室町期には定住者があったとのことだが、本格的に繁栄するのは明治に入って、実業家・御木本幸吉が賢島に近い多徳島で真珠養殖に成功、その後本島でも養殖が盛んになり、特に昭和に入るとその中心地となった。戦後から高度成長期にかけては、宝石の島との異名もあったほど好景気に沸き、真珠長者が数多く誕生したという。
 港付近のわずかな平地に家並が見られるほか、周囲の小高い所や海岸部にも家屋が散在している。特に港近くには立派な邸宅も多く見られる。ある御宅は立派な塀を巡らせ重厚な屋根の母屋を有し、また他の御宅は土蔵を複数従えている。これらはまさに真珠景気の賜物なのだろう。好景気によって、例えばテレビもこの島では他に先立ち普及したという話だ。
 しかし歩いてみると多くは無住であり、剥がれた外壁とは対照的に中庭に植えられたサボテンが放置されるままに大きく繁茂している光景もあった。
 探訪中ふとしたきっかけから、2人の古老の世間話に加わることとなった。真珠景気の頃から今に至るまで色々お話をお聞きすることが出来た。衰退の一番の原因は海外からの輸入品に押され、採算が取れなくなったからだという。今では島には真珠養殖に携わる家が僅かしかないという。古老の口からは「限界集落」という言葉も出た。
 わずかながらも今に残る賑わい豊かだったころの残影。周囲の海域には現在も養殖筏が浮かび、英虞湾を巡る遊覧船も近くを通る姿を見た。穏やかそのものの風景だが、集落探訪の面では大いに寂しさを感じるものとなった。




家並の向うに英虞湾を望む





訪問日:2022.01.02 TOP 町並INDEX