松合の郷愁風景

熊本県不知火町<漁村・港町> 地図 <宇城市>
 町並度 6 非俗化度 6 −八代海に面した漁業の基地 商業も栄えた−

             

 九州本土から天草諸島へ向けて伸びる宇土半島の南岸に松合の町が開けている。ここは白壁土蔵の町として近年徐々に知名度が高くなりつつある町である。
松合の町並




 大火に対する備えから、漆喰を施した家々が多いのもこの町の特徴です。 土蔵に囲まれた路地




山側の家並  港側に降りる路地。石垣、海鼠壁に風情が感じられます。

 

  古くは「まちあい」と呼ばれていたという。これは、古くから船がかりの津として開け潮待ち、舟待ちの地であったことから、「待ちあい」の意とも言われている。何とも風雅な地名ではないか。
 江戸期は熊本藩領宇土郡に属し、ほとんど平地に恵まれない地形のために生計の多くは漁業に拠っていた。町の前面一杯に広がる穏やかな八代海は好漁場で、水揚げされた海産物は藩に供されたといわれる。安政期(19世紀中盤)には漁港が整備されて天草方面からの魚も陸揚げされた。藩内一の漁港として栄えていた。
 また漁港としての潤いを背景に酒や焼酎、醤油、酢などの醸造業が栄え、明治期に入っても継続し6、000人近くの人口を擁するまでになった。港を背景にした商業都市であった。
 明治後半になると宇土方から松合往還が通じ、次第に陸路に交通手段が移ったことから松合は通過点となり役割を終えたが、現代に至って国鉄三角線や国道が半島の北側を選んだため町並は破壊的な打撃を受けなかった。現在三角まで通じる道路も町の海側の埋立地を迂回したため、古い町並が残った。
 旧道に沿って歴史を感じさせる建物が残る。平入り妻入り混在で雑然とした家並景観だが、それも港町らしい雰囲気を感じさせる。見応えのある大規模商家が連続しているというほどではない。しかしこの松合の家並は新しい建物も程よく調和し、いい意味で「こなれた」古い町並を演出している。
 この町は狭い土地に家々が密集していたこともあって江戸期以来幾度となく大火に襲われた。庄屋は大火があると、町の外縁部に家々を移転させたりしていたが、一方中心部の家々は漆喰に塗り回し、耐火構造とした。白壁土蔵の町とされているのは大火の教訓からなのである。
 確かに路地を中心に漆喰を施した建物が多い。海鼠壁も多く眼につき町並景観に彩を与えている。そしてかつてのメイン通りを中心軸として、山裾に向う路地、港へ降りる路地が派生し、それぞれに風情のある小路風景があった。
 外来客を迎え入れる施設も出来てきているが、地味で目立たぬよう配慮され町並に溶け込んでいた。
 





訪問日:2004.05.02 TOP 町並INDEX