松阪の郷愁風景

三重県松阪市【城下町・商業都市】 地図
 
町並度 6 非俗化度 3 −城下町を基盤に松坂商人と呼ばれる豪商を多数輩出した地−




松坂城址より俯瞰する御城番屋敷(左)と屋敷街


 松阪というと現在ではまず一大ブランドとなった和牛の産地としてイメージされる所かもしれないが、古くは南伊勢の中心として城下町が形成され、伊勢の参宮路が通り、江戸後期には商業都市として全国にその地名を知られるところとなっていた。
 大阪と同様、かつては「坂」と表記している。この松坂城は、1588(天正16)年に蒲生氏郷が12万石をもってこの地に入り築城した。自然の微高地を利用した平山城で、即時に城下町の建設も行い、精緻に計画された近代都市が形成された。寺院を東西に配し、海側を通っていた伊勢街道を城下に引き入れている。
 また当地の町人町は「楽市・楽座制」のもとに、米・塩・酒・魚・絹・馬・木材・白粉・茶・木綿が十楽と呼ばれ、同業者が一所に集まって魚町、塩屋町などと命名された。他にもこの町には、職業に関する由緒ある町名が多く残り、町歩きに風情を添えてくれる。
 松坂藩としての期間はそれほど長くなく、幕末まで多くの時期を紀州藩領の飛地として経過している。
 松坂城址は市民の憩いの場としてウォーキングや犬の散歩等をする姿が絶えない。少し小高い城地から東方面を見下ろすと、緑に囲まれた長屋風の建物が一際異彩を放っている。これは紀州藩士の組屋敷として造られ、御城番屋敷と呼ばれた。武家屋敷が長屋になっている例は全国的にも極めて珍しく、松阪を代表する景観である。現在も住居として使われているその建物は、生垣の奥に控えた旧武家らしい佇まいを現在に至っても保っていた。
 この長屋付近より北側を殿町といい武家地であった。生垣や門など一部にその雰囲気が残る一角である。
 一方町人町としての面影が最も濃いのがその北に接する魚町である。城下町時代には魚介を扱う商人が暮していた地域なのだろう。西を松坂城、北を阪内川に囲まれた地区で、殊に魚町橋につながる細い街路筋には町家が連続した風景が残り、古い町並としての風格を感じさせてくれる。中でも土蔵を従えた広大な土地を持つ長谷川家は本うだつを両端に構えた姿を見せ、厳かだ。松坂肉の老舗牛銀本店もこの一角にある。
 江戸期は松坂商人という言葉も高らかに全国に轟いた時代である。木綿産業を中心に商業の集積を見て、江戸に進出するものも多く現れたからだ。後に大財閥となった三井家を初めとして、彼らにより松坂の町政が司られていたといっても言い過ぎではなかった。宝暦の頃(18世紀中盤)には江戸店持ちの商家が50軒にも上っていたというから大変なものである。
 魚町界隈ほど連続したまとまりはないにせよ、他の市街中心部でもいたるところに伝統的な構えの旧家を眼にすることができ、多くはそのような商家だったのであろう。城下町の雰囲気を城址や旧武家屋敷から感じる一方で、広範囲に残る町家の風景からは、一大商業都市としての残像を見るようである。




魚町の長谷川家。本うだつが見られる。




長谷川家付近の町並 湊町の町並

訪問日:2006.07.17 TOP 町並INDEX