妻鹿の郷愁風景

兵庫県姫路市<漁村> 地図
 
町並度 4 非俗化度 10 −市川河口の漁師町−

 

妻鹿の町並 左の建物は藩の固寧倉
 

 妻鹿
(めが)は旧但馬国の境付近から流れ下る市川の河口近くに開ける町である。
 国道250号線と山陽電気鉄道に挟まれた区域は、細かい小路が入組んでいて路地風景が町並風景の主体をなしている。そして、姫路の市街中心からそれほど離れていない地であるにも関わらず、木造の建物がひしめき、本瓦を葺いた重厚な外観の民家も多く眼にする。明らかに古くからの漁村であったであろうと推測できる風景である。現在埋立てにより海岸線は遠ざかっているが、かつては国道付近から南は海が広がっていたのだろう。
 古くは目賀津といわれ、背後に小高い山があり、当初はその麓に点々と集落が点在する寒漁村にすぎなかったとされる。その後姫路藩の豪商により新田開発がなされ、現在家並の続いている低平な部分は、後になって広がった町場の部分なのであろう。市川沿いから見ると随分土手下の印象だが、これは近年になって堤防が築造されたものと思われ、かつては家々が川沿いに建ちならんでいたのだろう。
 漁業は古くから盛んであり、江戸期より魚商人なども台頭した。また明治以降も近海漁業が盛んで、鮮魚の集散地として発展を示した。また付近一帯で盛んだった製塩に携わる者も多かったという。
 妻鹿村から飾磨市を経て姫路市の一部になっても、一つのまとまりを持った自治体であったことが感じられる。一角には江戸末期に藩により造られた固寧倉と呼ばれる、飢饉時などに穀物を備蓄するための土蔵が残っており、歴史性を感じさせてくれる。




 





訪問日:2007.02.11 TOP 町並INDEX