女木島の郷愁風景
香川県高松市<漁村> 地図 町並度 6 非俗化度 6 −厳しい環境を示す石積に守られた集落− |
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東浦の町並 | |
女木島は高松港のすぐ沖に浮ぶ南北に細長い島で、別名鬼ヶ島とも呼ばれている。島の北部の山頂付近にある洞窟から鬼ヶ島伝説が唱えられ、これは古い石切場の跡と考えられているが、宣伝によりこの島の観光資源として、洞窟を訪ねる客も多い。また海水浴場もあり高松市内からも船で15分と便利であることから、夏は賑わいを見せている。 島は北西の直島、すぐ北にある男木島とともに直島三ヶ島のひとつに数えられ、古くから漁業の島であった。しかし零細の域を出ず、近海で鯵・鰆(さわら)などを漁獲する程度であり、半農半漁の島である。農業の方も島であるため水に乏しく水田はわずかで麦や甘藷、煙草や梅・桃等である。 歴史的には室町期に倭寇の仲間に加わり中国や朝鮮の沿岸に出兵したり、直島の支配下にあった戦国期には豊臣秀吉の船方となって文禄・慶長の役に出陣したあたりが特筆されるところである。 現在島は過疎化が著しく進行し、最盛期のほぼ半数の数百人という人口である。西岸の西浦、東岸の東浦という地形そのままの名の二つの集落があり、その多くが旅客船の発着する東浦に固まっている。 町は木造の平屋または二階屋が、やや隣と間隔を置いて建ち並んでいる。内部に入ると農村集落のような雰囲気を感じる。商業が栄えていたわけでなく漁業も零細だったため古い建物は多くは残っていない。ごく一部に長屋門を構えた屋敷が見られるのが特異といったところだろう。 しかし、この集落の一番特異な点は家並でなくその外側である。船が港に近づくと、頑強な石垣により集落が囲まれている異様な姿に驚く。それらは家々の屋根の高さを越え、白っぽい石材を使ったものやまた黒ずんだもの、練積もあれば空積のものもあり、いずれも河川護岸などに用いられるブロック積擁壁と同じ構築法がなされ頑丈そのものである。 なぜこのような石積が必要だったのか。港近くに案内板があった。これは「オーテ(大手)」と呼ばれ、『冬になると島の人たちが「オトシ」と呼んでいる北西の季節風が山頂にあたり、方向を変えて吹きおろしてくる。海岸沿いの家は波しぶきをかぶり、さらに霧状となった海水が家の中まで入ってくる。これを防ぐために民家のほとんどは東向きに建てて、民家の妻に面した南側等に屋根の高さほどの石垣を築いた』(高松市教育委員会の案内板から抜粋)高いものは4mにも達しているという。 石は地元のみならず近隣からも運び込まれ、また各家が独自に築いたものである。だからこそ外見もまちまちで、素朴な味わいがある。近年防波堤や岸壁が整備され、石積の足下を直接波が洗うことはなくなったが、これらは家や村を守るための住民の苦心の策だったのである。現在この石積だけが残り、女木島を象徴する独特の集落景観となっている。 |
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海岸に沿って高い石積の連なる独特の集落景観が見られる。 | |
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岸壁から集落へ入る路地 | 路地にも一部石積が見られる。 |
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かつて波打際に直接面していたであろう岸壁から路地に入っていくと、海岸の「オーテ」からまた石積が続いている。しかしそれらは波風を防ぐ必要がなかったからか単に黒石を積上げただけのものが多かった。「オーテ」に使用した余り石を積んだものなのか。集落の少し奥に入ると、それも途切れる。 高松港がすぐそばに見えるのに、素朴さや特異性溢れるこの集落は意外性に満ちている。機能は失ってもこの石積は撤去せずに保存していっていただきたいものである。 |
訪問日:2006.01.02 | TOP | 町並INDEX |
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