佐柿の郷愁風景

福井県美浜町<陣屋町・街道集落> 地図
 
町並度 4 非俗化度 7 −若越国境に位置する旧丹後街道沿いの集落−







 街道集落の様相を示す佐柿の町並


 若狭地方の東端に位置する美浜町は敦賀市の西に接し、小浜線のほか近年自動車道も整備され交通の便が向上している。
 佐柿地区はそれらの交通網とは無縁な位置にひっそりと展開する町並である。しかし、若狭の入口ということで古くは交通の要衝として重要視されたところで、東側の城山には近世初頭まで城が構えられていた。国吉城と呼ばれ、秀吉の家臣であった木村常陸介は16世紀後半の天正期から城下町を整備した。近くにあった丹後街道を城の麓に引き寄せ、近隣の村民を呼び寄せたうえで100戸ほどの集落を造成した。住民の諸役は免除されていたという。
 江戸時代に入り、小浜藩は越前との国境にあるこの集落を重んじ、寛永11(1634)年酒井氏が入封すると陣屋を設置して奉行を置いた。陣屋には足軽20名も配置され、女留番所も併せて置かれ女人の出国を取締ったという。また集落の北口の越前寄りには関所が設けられ、人荷を改めていた。木戸とともに土手や石垣もあったという。
 国道27号から南に折れ、城山が近づいたあたりに集落が展開している。傍らには案内板もあり、また国吉城の資料館もあるなど外来者に対応した施設も見られる。街道は三箇所にわたってほぼ直角に折れ曲がっており、この辺りが人工的に造成した道筋の名残だろうか。街道集落らしく切妻平入の建物が比較的連続しており、一部にはつし二階の町家型旧家も見られた。案内板によると江戸から明治にかけての建物も数件だが残っているという。
 また寺が多いのも特徴で、江戸時代には最大九ヶ寺あったといわれ、現在も七ヶ寺がある。集落を造成したときに周囲の村々から街道沿いに集めたものか、他地域から歓進されたものかはわからない。








訪問日:2021.03.27 TOP 町並INDEX