三春の郷愁風景

福島県三春町<城下町> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 6 −三春駒で知られる城下町−









三春の町並景観を代表する桜川沿いの土蔵群

 三春町は郡山市より東に10km余り、磐越東線、磐越自動車道が通じ交通の便は良い。三春という地名は梅・桃・桜が同時に咲くところという意味が込められているという。 
 中世は田村氏が支配するところで、城が築かれ16世紀前半には既に城下町が存在していたという。その後江戸時代になって入部した秋田氏により整備され、現在の町の基盤が形成されている。三春藩が成立し、幕末まで同氏が支配した。
 三春は中小街道が交差する交通の要衝だった事もあり、人々の往来が多く商業も発達し、武家町のみならず商家も発達した。また、藩の政策で多くの寺院を勧請したことで、東北の小鎌倉とも呼ばれるようになった。
 八幡町から中町・新町・大町そして北町にかけてが城下町時代の中心だったところらしい。町並的に見たときに最も目立つのが土蔵で、中でも街道裏手の桜川に面する部分には連続した蔵並といえるものも見られる。これらは商家の裏手に建てられた土蔵群なのだろう。北町付近から西側に入る路地付近には、土塀が連なり城下町を彷彿させるような風景も残っていた。
 町は独自に「美しい三春をつくる景観条例」を制定して、町並や建物の保存活用を行っている。実際桜川沿いの地区のみならず、土蔵を利用した食事処や資料館など、古い建物を利用した取組を展開されている。 
 ただし、事業を行った際に整備して残すもの、取壊すものという選別が行われてしまったようで、以前訪ねた他の人の情報などを見ると、もっと多くの古い町並景観が見られたようである。積極的な取組は大いに評価したいところではあるが、そのために外向きを意識した町並になってしまい、自然体の古い町並という点では、やや人工的な色合いが濃いことは否めない。
 三春は数々の祭や郷土玩具でも知られ、それは文化の先進地といわれたこの町を象徴するものだろう。中でも三春駒という郷土玩具で知られ、これはこの地にかつて良質の野生馬が多く、商品として取引されていたことに由来するという。
 

北町の町並



中町の町並



大町の町並

訪問日:2015.09.22 TOP 町並INDEX