千酌・笠浦の郷愁風景
島根県美保関町<漁村> 地図 <松江市> 町並度 4 非俗化度 9 −古くは隠岐への玄関港でもあった漁村− |
山がちな地形がそのまま海に没する島根半島北岸の地形。しかし所々に小さな入江があり、漁村集落が散在している。今回紹介する千酌(ちくみ)・笠浦は半島東部にあるそれら漁村群のひとつである。 千酌は『出雲国風土記』にも登場する地名で、隠岐に向うには山陰道を通りこの千酌の浜から渡るのが通例だったとされ、島流しにされた者などがここから海路にゆだねられ流刑の地に向っていたという。集落の中心には伊邪那岐命・伊邪那美命を祭神とする爾佐神社が格式ある佇まいを見せている。 |
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千酌地内にある爾佐神社 | |
千酌川が日本海に注ぎ、河口付近の平野が狭いながらも広がり比較的広々としたところで、家並の背後に耕作地もある。古くは製塩も行われており、天明6(1786)年には112俵が納められたとの記録がある。 各時代を通して漁村集落として経過し、明治前期に編纂された『皇国地誌』によると人口572に漁船36で、漁業としてはカレイ7,500尾、鰤500尾などが水揚げされ松江に送られたとある。また平地も展開することから半農半業で生計を立てる家も多かった。 千酌川沿いと、海岸沿いから少し入った横道に家並が展開する。一部には塀を巡らせた敷地の広い邸宅もあった。 |
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千酌地区 路地に沿い塀を巡らせ問を構える邸宅 | |
千酌地区 | |
千酌から北側に1km余りのところに笠浦という小さな漁港がある。北側を小半島に限られ、日本海からの風波の影響を受けにくい地形にある良港だ。『皇国地誌』では人口439・船97艘とあり、鰤や鯛、干鰯(肥料)、ワカメなどが松江に運ばれた。こちらは平地が少ない分ほぼ純粋に漁業集落であったようだ。港沿いと、細い谷間を埋めるように家並が連なっていた。 |
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笠浦地区 | |
笠浦地区 |
訪問日:2024.09.24 | TOP | 町並INDEX |
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