美甘の郷愁風景

岡山県美甘村【宿場町】 地図 <真庭市>
 町並度 5 非俗化度 7  −出雲街道の宿駅 山陰の影響を受けた家々が連なる−












美甘の町並 街道集落らしい連続性を保っていた


 美甘は美作地方の西部、この付近の中心的な町である勝山より新庄川の渓流を遡った小盆地に開ける。旧出雲街道が通り、これよりさらに北西に向うと新庄宿を経て伯耆との境界・四十曲峠に至る。
 この美甘には宿駅が設けられ、松江藩主が参勤交代時に通行し、専用の本陣もあった。
 勝山から美甘までの道は四十曲峠に劣らず嶮しいもので、新庄川の深い谷の崖縁や急斜面などを開削して付けられたものである。荷運びの人馬は平坦地の2倍を要し、費用は3割増であった。そのような難所の連続する区間であったので江戸の末期頃には運送業が発達して美甘宿の財源の多くを占め、また旅人も増えて多くの人々がここで旅装を解いた。
 また中国山地一帯で盛んに行われた「たたら製鉄」は当地でも主要な産業となった。幕末の頃は伯耆根雨の近藤家などの資本も入ってきて、山深い町が最も繁盛した時期を迎えた。明治中期までが製鉄業の最盛期となり、その後も和牛飼育や葉煙草の栽培、そして林業などと各種産業が興った。
 国道181号線が宿場町とは離れた斜面に新設されたため、今でも良く往時の姿を残し古い町並としても十分評価できるものがある。家並は300m足らずで、40軒の家屋と人馬それぞれ15人・8匹が常備されていたという往時の記録がある。馬などは勿論居ないが、家数はほぼ宿駅時代と変らないようであった。平入で軒を接し、空地となっている箇所も少なく連続的に展開する家々は見応え度が高い。
 特徴的なのが赤褐色の瓦で葺かれた家々が多く眼につくことで、その割合は過半数に及ぶ。このあたりまで来ると街道を通じて山陰の影響を強く受けていたようだ。
 国道沿いに旧美甘宿を案内する看板があり、また旧家の一部は修繕の手が加えられ、地味ながら臨時に探訪客を受入れる施設として整えられている建物も眼についた。好ましいことである。
 周囲の山々を背景として、古い町並としての連続性の高さは素晴しい。個の保存公開のみならず街道集落としての連続した町並景観を如何に保っていくか、取組に期待したい。

訪問日:2008.09.14 TOP 町並INDEX