刈谷の郷愁風景

愛知県刈谷市【城下町・港町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 10  −三河西端の城下町 海運も得て栄えた−





銀座5丁目の町並


 刈谷市は三河地方の西端、名古屋から東海道本線で20分ほどと至便な位置にある。
 旧東海道沿道からは少し南に外れているものの、西三河の拠点の一つとして城が置かれ、また海運を通して繁栄した古い歴史を有している。
 戦国期より水野氏が刈谷城を支配しており、関ヶ原の役後は一時幕府領、稲垣氏、阿部氏など小刻みに城主が変遷したが、西尾から移ってきた土井氏が入封してからは安定し定着した。
 現在地図を見ると市街中心はやや内陸に位置しているように見えるが、当時は知多半島との間の水道を遡って城下に近いところに港があったという。現在でも港町などの地名が見られるがそのあたりか。また南に接する高浜も外港として使われていた。積出される物品は特産の綿や大豆等で、それには干鰯などの大量の肥料が必要であり、問屋の手を経て江戸から大量に陸揚げされた。また酒造も盛んで17世紀末の元禄期に既に6軒の酒屋があったことが記録され、江戸をはじめ各地に売られた。嘉永7(1854)年の記録では廻船9艘を有していた。
 城下町の西を流れる逢妻川、境川を通じて上流の東海道往還沿いまで物資の往来があり、また城下の賑わいが増すにつれ市が開かれるなどし、それに便乗して他の地域からも商人が移り住んだりして町は活性化した。
 かつての城下町の中心は現在の駅前付近ではなく西に1.5kmほど離れた辺り、逢妻川近くにある亀城公園の東側から南東側にかけてである。多くは近代的な住宅地や商業地として建替わっている中で、奇跡的にも伝統的な建物が残る一角がある。規模はごく小さいが密度は濃く、虫籠窓の塗屋造りの町家建築、格子が綺麗に残る旧家など見応えがある。また塀に囲まれた屋敷で母屋は更新されているものの、裏手の土蔵群と石垣が残り趣を感じさせる風景もあった。
 
 
 








裏手に土蔵群を従えた邸宅があった

訪問日:2014.11.23 TOP 町並INDEX